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武内宿禰
「武内宿禰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武内宿禰の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
こと多く行なわるるは、前日増田于信氏が史蹟保存会で演《の》べたりと承る。大和には
武内宿禰の墓を畑とし、大阪府には敏達帝の行宮趾を潰せり、と聞く。かかる名蹟を畑と....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
、ある夜、戦のお手だてについて、神さまのお告げをいただこうとおぼしめして、大臣の
武内宿禰をお祭場へお坐らせになり、御自分はお琴をおひきになりながら、お二人でお祈....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
いは蛇を甕中に置きこれを取らしむ、いわく曲なればすなわち手を螫《さ》す〉。前者は
武内宿禰《たけのうちのすくね》などが行った湯起請《ゆぎしょう》で国史にも見える。....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
こうたずねるとおじいさんは千三の顔をじっと眺めた、それは紙幣で見たことのある
武内宿禰に似た顔であった。 「あれはな、後村上天皇がいま行幸になったところだ」 ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
う考証を仙台で聞いた。してみると、人文の未《いま》だ剖判《ほうはん》せざる上古、
武内宿禰《たけのうちのすくね》や、日本武尊《やまとたけるのみこと》の足跡がある。....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
。「えみし」の語はすでに神武天皇御製と称する歌詞の中に見え、東夷の称は景行天皇朝
武内宿禰復命の文中に出づるなり。しかしてそのこれを「えびす」と呼ぶは、単に、「え....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
あります。 普通に歴史の示すところによりますと、むかし景行天皇の御代に当って、
武内宿禰が勅を奉じて東国を巡察致しまして、蝦夷という変った民族の住んでいたことを....