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武勲
「武勲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武勲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
ぎょうゆう》無双の秀康卿の子と生れ、徳川の家には嫡々の自分であると思うと、今日の
武勲のごときは当然過ぎるほど当然のように思われて、忠直卿は、得々たる感情が心のう....
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
ンドボーン大佐以下四十五名の乗組員は、敵国の首都を、完膚なきまでに爆撃した彼等の
武勲を、唯一の慰めとしてアクロン号と運命を共にした。 だが、本当のことを云うな....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
が砲弾と六百万都民を尻目に悠々と帰って行くので、さらに寒さを感ずる。夜間戦闘機の
武勲もほとんど新聞に出ない。 一月十二日 ◯昨夜モ敵三回来襲ス、薄雪アリ冷雨時....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
うな句がある。この一首は、剣太刀をば愈ますます励み研げ、既に神の御代から、清かに
武勲の名望を背負い立って来たその家柄であるぞ、というので、「清けく」は清く明かに....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
の二、三の事蹟は真摯《しんし》なものであり、なかんずくトロカデロの占領はみごとな
武勲であった。しかし畢竟《ひっきょう》するに、吾人《ごじん》はくり返して言うが、....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
峡路《きょうろ》をふせいだ三十人の擲弾兵《てきだんへい》のひとりだった。その時の
武勲により、ジューベールは高級副官となり、ポンメルシーは少尉となった。ロディーの....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
るる峻嶮《しゅんけん》なる都市に生まれたるエラトスを打ち倒しぬ。」フランスの古き
武勲詩ゼストの中においては、塔を引き抜いて投げつけながら身をまもる巨人スワンティ....
「岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
宗に向かって、いろいろの人が命乞いをした。 宣慰大使崔渙や、御史中丞宋若思や、
武勲赫々たる郭子儀などは、その最たるものであった。 そこで李白は死を許され、夜....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
して、やさしく少年の頬をつねった。 ○ 十一月三日、明治節の朝だ。
武勲かがやく昭和遊撃隊は、碧海島を後にして、いよいよ東京湾へ凱旋《がいせん》する....
「三国志」より 著者:吉川英治
兵の死骸幾千幾万なるを知らない。殲滅戦の続けらるること七日余り、玄徳は、赫々たる
武勲を負って朱雋の本営へ引揚げた。 朱雋は、玄徳を見ると、 「やあ、足下は実に....
「三国志」より 著者:吉川英治
れて、剣にかけていた自分の手に、気がついたからだった。 「――あいや、私にはまだ
武勲がないので、せめて座興に、剣の舞でも舞って、諸兄の労をお慰め申さんかと存じま....
「三国志」より 著者:吉川英治
の白旗をたどって、逃げに逃げた。 ここに至ってはついに猜疑深い兀突骨も、自身の
武勲に思い上がらざるを得ない。部下をかえりみて、大象の上から豪語した。 「なんと....
「三国志」より 著者:吉川英治
も屈指の良将軍たることは誰も認めていたし、実戦の閲歴も豊かで、曹操に仕えて以来の
武勲もまた数えきれない程である。 「彼を討死させたのは、実に予の過ちであった。あ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
成の態度は、よほどよく、見ておく必要があろう。 いまや勝者の陣でも、彼こそは、
武勲第一と自他共にゆるされるものだった。 いや、武門列だけでなく、民衆の声望も....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
あれほどな父を持ち、これほどな恩師を持ち、そちはよほど倖せ者だ。さだめし行末よい
武勲を持つだろう。重治に従いて中国へ征け。信長がその初陣を祝うてとらせる」 と....