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武州
「武州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「入れ札」より 著者:菊池寛
だ。少しは、熊谷はあぶねえかと思うが、故郷へ帰る足溜りにはもってこいだ。それで俺
武州の方へ出るつもりだが、お前はどうする気だ。 九郎助 (黙して答えず)……。 ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
「お房の相手の鮎川というのは、どんな奴だ」 「こりゃあ江戸者じゃあありません。
武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て若党奉公で....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
平|大和守《やまとのかみ》十七万石の城下で、昔からなかなか繁昌の町でした。おなじ
武州の内でも江戸からは相当に離れていて、たしか十三里と覚えていますが、薩摩芋でお....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
京と妾のお関が他人に殺害された。下手人《げしゅにん》は中間の伝蔵であった。伝蔵は
武州秩父の生まれで、あしかけ六年この屋敷に奉公していたが、この四月頃から女中のお....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
正直者であるのに引き換えて、お歌は肩揚げのおりないうちから親のもとを飛び出して、
武州、上州、上総、下総の近国を流れ渡っていた。彼女は若粧りを得意として、実際はも....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
後大和に在って、秀吉に抗していたが、そこも落されて、小田原に籠り、小田原落城後、
武州金沢の称名寺にかくれていたが、秀吉之を呼び出し、「勝家の甥として、我に手向う....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
で、十八の冬からここへ縁付いて来て、あしかけ三年むつまじく連れ添っていた。かれは
武州|熊谷在の豪農の二番娘で、千両の持参金をかかえて来たという噂であった。 加....
「人魚謎お岩殺し」より 著者:小栗虫太郎
なく、特殊演劇保存という見地からして、この一座とは何かと親しかった。 そこは、
武州草加の芝居小屋、年も押し迫った暮の廿八日のこと――。 はや春興行に、乗り込....
「鷲」より 著者:岡本綺堂
羽田の鷲撃ち――毎年の秋から冬にかけて、遠くは奥州、あるいは信州、甲州、近くは
武州、相州または向う地の房総の山々から大きい鷲が江戸附近へ舞いあつまって来る。鷲....
「怪異暗闇祭」より 著者:江見水蔭
討なんどと、左様な大事件をお引受け致したか知らん」 「御失念では痛み入る。それ、
武州は府中、六所明神暗闇祭の夜、我等の仲間が大恥辱を取ったことについて」 「ああ....
「入れ札」より 著者:菊池寛
少しは、熊谷は危険かも知れねえが、故郷へかえる足溜りには持って来いだ。それで俺も
武州の方へ出るから、途中まで付き合ってくれねえか」 九郎助は、返事をする事さえ....
「黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
知らないが、半※ほどの後にここを出て来たお菊の顔色は水のようになっていた。お菊は
武州越ヶ谷の在から去年の春ここへ奉公に来て、今年の二月の出代りにも長年して、女房....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
せわしき身は、一夜の旅も、糧ゆえに思うに任せず、廻国のついでに、おのずから、その
武州何郡、何村に赴きたまわば、」事のよしをも訪いとむらいたまえと、舌を掉って語っ....
「迷信解」より 著者:井上円了
上野の尾崎村のごときは、一村中この狐をかわざる家なし。ゆえに尾崎狐ともいう。また
武州にては大崎という」と記してある。そのくわしきことは後に述べようと思う。 ま....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
であるかの如くにまで解せられていた様である。「慶長見聞書」(「古事類苑」引)に、
武州幸手の月輪院僧正が、エタの由来を説明した中に、 、叡山の犬神人、皆是寺方の掃....