武帝[語句情報] »
武帝
「武帝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武帝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
弟子孫なり。然るに当時一たび其地を削れば則ち兵を構えて西に向えり。晋の諸王は、皆
武帝の親子孫なり。然るに世を易うるの後は迭に兵を擁して、以て皇帝を危くせり。昔は....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
へ行幸を仰せ出されたのは去る八月十三日のことであった。これは攘夷御祈願のため、神
武帝御山陵ならびに春日社へ御参拝のためで、しばらく御逗留、御親征の軍議もあらせら....
「美女を盗む鬼神」より 著者:田中貢太郎
梁の
武帝の大同の末年、欧陽※は陣中に妻を携えていたが、その女は色が白く顔が美しかった....
「李陵」より 著者:中島敦
一 漢《かん》の
武帝《ぶてい》の天漢《てんかん》二年秋九月、騎都尉《きとい》・李陵《りりょう》は....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
一汎《いっぱん》に信ずるより、時に取ってかかる名言を吐いたのだ。『南史』に、〈梁
武帝元洲苑に幸《みゆき》し、大蛇道に盤屈し、群小蛇これを繞るを見る、みな黒色、宮....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
とした。その他項羽の騅《すい》、呂布《りょふ》の赤兎、張飛の玉追、遠※の飛燕、梁
武帝の照殿玉獅子等、なお多かるべし。本邦には「垂仁《すいにん》紀」に足往《あゆき....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
七日に、麻子、小豆、各十四枚を呑めば疾疫を消すとあって、卵は抜きとされおり、梁の
武帝、厳に動物食を制してより、元旦に鶏卵を食うは全廃となったとある。 鶏卵をめ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、もと仏徒が『最勝王経』と『法華経』の効力《くりき》を争うたから起ったものだ。聖
武帝の天平十三年正月天下諸国に詔《みことのり》して七重塔一区ずつを造り、並びに『....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
敗壊するこれより甚だしきはなし(『※余叢考』四二)。また古く『漢武故事』に、初め
武帝太子たりし時、伯母大長公主その女陳阿嬌を指《さ》し好否を問う。帝曰く、もし阿....
「不周山」より 著者:井上紅梅
命じてこれを探しめた。 方士が仙山を探し当てないで、秦の始皇は遂に死んだ、漢の
武帝もまたこれを探さしたが、これまた影さえも見つからない。 たぶん、大きな鼈ど....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
る。そして、それが天武天皇によって亡ぼされたこともほぼ確実でしょう。なぜなら、天
武帝はヒダの主たる神を大和へうつして一年に何回も勅使をさしむけて拝ませており、し....
「健康と仕事」より 著者:上村松園
っ通しに描きつづけてしまったのである。 「唐美人」で憶い出すのは梅花粧の故事漢の
武帝の女寿陽公主の髪の形である。あれにはずいぶん思案をしたものである。 支那の....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
を時折大通りの小間物問屋金座屋の物乾しの上に三尺ほどの角に眺めながら、遠くは周の
武帝近くは宗桂《そうけい》の手遊《てすさび》を気取っているのは、その釘抜のように....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
ないが、しかもさらに最も明瞭に、遺憾なくこれを説述したものは、我が雄略天皇が宋の
武帝に遣わされたと称せられる、宋書記載の国書の文である。 昔、祖禰より、躬づから....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
楽浪海中に倭人あり。分かれて百余国となる。歳時をもって来献すと云ふ」とある。漢の
武帝が朝鮮を征して、楽浪郡以下の四郡を置くに及び、我が九州地方なる所謂倭人の豪族....