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武庫
「武庫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武庫の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「琴のそら音」より 著者:夏目漱石
黒き点をはたと打たれたような心持ちである。消えて失《う》せるか、溶けて流れるか、
武庫山《むこやま》卸《おろ》しにならぬとも限らぬ。この瞳ほどな点の運命はこれから....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
戸の家へ返さしてしまったのである。 私は、病院を出ると、徳子さんから聞いていた
武庫川の堤近く――芦屋の、徳子さんの家へ尋ねて行った。今の芦屋とはちがうから、何....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
てもおぬしに一肌ぬいで貰《もら》わにゃならぬときになった、さし当りサッポロ近傍に
武庫を建てる、先ごろアメリカから売りに出たご存じのレミントン式、エンピールはもう....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
なんだ、これがあの有名な大井川か。淀川の半分も無いじゃないか。国元の猪名川よりも
武庫川よりも小さいじゃないか。のう、蛸。これしきの川が渡れぬなんて、式部も耄碌し....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
記に見える。 遠近の丹波と相|若《し》くのは、摂津富松庄である。富松は河辺郡と
武庫郡とに分れて、東西富松の二つある。しかして富松庄は三条西家の専領ではなく、む....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
東へ帰る趣の歌もある。併し八首とも船の旅であるのは注意していいと思う。敏馬は摂津
武庫郡、小野浜から和田岬までの一帯、神戸市の灘区に編入せられている。野島は淡路の....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
の温泉の位置はやはり現在の旧温泉のある附近ではあったが、ずっと川の中へ突き出した
武庫川の岸にささやかな湯小屋が設けられていて、その傍らに柳の木が一本植わっていた....
「アーニイ・パイルの前に立ちて」より 著者:小林一三
せしめたのである。可愛いい音楽女学生は、その楽譜を読みながら唄う。 『希望は遠し
武庫の川 流はつきじ永遠に 水玲瓏の粋をくむ われ等は乙女一途に 歌劇の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ば こやの軒ばの月も見つ 又いかならむ 行く末の空 昆陽を出でさせ給ひて、
武庫川、神崎、難波など過ぎさせ給ふとて、御心のうちに思す筋あるべし。広田の宮のあ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
うごきがみえだしていた。 正成の菊水|旗が後陣へ消え、代って、脇屋義助の軍が、
武庫川のかみから急下してきた朝からの緊迫した鳴動だった。 「賊軍の息のねをとめろ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。このみじめな敗北感は馬も知るのか、ぬかるみを行く無数の長い脛にも力がなかった。
武庫川の辺まで来ると、春の小糠雨は急に山からと海からとの風に掻きまわされて、痛い....
「俗臭」より 著者:織田作之助
通りこして、千恵造の心に痛くこたえた。彼は便所に立ち、平気や/\と呟いた。窓から
武庫川の河原が見えた。五月の午後の太陽が輝いていた。この時の千恵造の心理状態は描....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
う皮多村のことが、よく正徳・享保頃の文書に見えておりますが、同じ宿河原でも、同国
武庫郡のは後までも夙で、それを守具と書き、後には文字をかえて森具村となっておりま....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
少くなかったとみえて、「宿河原」という地名が所々にある。上方では摂津旧島下郡と旧
武庫郡とにそれがあって、「徒然草」に虚無僧の仇討で有名な宿河原は、普通に
武庫郡の....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
はいっておっても、社交上ほとんど区別はないとのこと、これは某警察官の直話。 摂津
武庫郡西の宮の産所。これは前記の如く有名なものであったが、今は少しも遺っておらぬ....