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「武徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

武徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
身投げ救助業」より 著者:菊池寛
の数は、多い時には百名を超したことさえある。疏水の流域の中で、最もよき死場所は、武徳殿のつい近くにある淋しい木造の橋である。インクラインのそばを走り下った水勢は....
近世快人伝」より 著者:夢野久作
いうのは当時から福岡の青物問屋でも一番の老舗で双水執流という昔風の柔道の家元で、武徳会の範士という、仁三郎には不似合いな八釜しい肩書附の親友であった。現、角屋の....
雑記(Ⅰ)」より 著者:寺田寅彦
次が「胡飲酒」、三番目が朗詠の一つだという「新豊」、第四が漢の高祖の作だという「武徳楽」であった。 始めての私にはこれらの曲や旋律の和声がみんなほとんど同じも....
青春論」より 著者:坂口安吾
の『宮本武蔵の戦法』という文章を読んで、目の覚めるような面白さを覚えた。吉田氏は武徳会の教師で氏自身二刀流の達人だということであるが、武術専門家の筆になった武蔵....
だいこん」より 著者:久生十蘭
トルート・ショルックリング女史と、ナチス婦人団の見学にはるばる日本からやってきた武徳会の薙刀の先生、黒田悦子師範ことママ薯が見送りの大使館の連中を相手にしてそう....
馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
して居ります。武術や膂力の尊崇された時代であります。で、八犬士や為朝は無論それら武徳の権化のようになって居ります。これらの点をなお多く精密に数えて、そして綜合し....
三国志」より 著者:吉川英治
倉も自ら首を刎ねて憤死した。 関羽の死後にはいろいろな不思議が伝えられた。彼の武徳と民望が、それを深く惜しみ嘆く庶民の口々に醸されて、いつか神秘を加え説話をつ....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
の剣道は封建時代の剣客に勝るとも劣らなかったのであろう。何でも先生に学んだ一人は武徳会の大会に出、相手の小手へ竹刀を入れると、余り気合いの烈しかったために相手の....