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武王
「武王〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武王の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
はなんというお人でござります」 ここは唐土《もろこし》で、自分は周《しゅう》の
武王《ぶおう》の軍師で太公望《たいこうぼう》という者であると彼は名乗った。そうし....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
らざる英雄である、不正の英雄は抜山倒海の勇あるももって尊敬することはできません、
武王は紂王を討った、それは紂王が不正だからである、ナポレオンは欧州を略した、それ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
出征に斧鉞《ふえつ》を賜うとあるは三代の時これを以て人を斬ったからで、『詩経』に
武王鉞(マサカリ)を執ればその軍に抗する者なかったとある。上古の人が遺した石製の....
「源氏物語」より 著者:紫式部
の君を讃美《さんび》したものが多かった。源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子
武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。その文章の続きは成王の伯父《おじ》とい....
「首頂戴」より 著者:国枝史郎
程、わかりました。太公望を気取っているので?」 「この見立は狂うまいよ」 「では
武王が無ければならない」 「その
武王こそ我々なのさ」 ここで二人共黙って了った....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
一着に社長なり長官なりに意見を陳述《ちんじゅつ》すべきである。 周《しゅう》の
武王《ぶおう》が殷《いん》の紂王《ちゅうおう》を伐《う》たんと出征したとき、民み....
「迷信解」より 著者:井上円了
るに及ばず」とて、すぐに軍を出だし、果たして勝利を得たりとのことじゃ。また、周の
武王は甲子をもって興り、殷の紂王は甲子をもって亡ぶといえる話がある。すなわち、昔....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
を拝みたくて発願入定三七日に及んだ。その時に、生身の観音を拝みたくば「大日本国聖
武王の正后光明女の形」を拝めという告げがあった。大王夢さめて思うに、万里蒼波を渡....
「真の愛国心」より 著者:新渡戸稲造
伯夷《はくい》叔斉《しゅくせい》の話である。この兄弟は国を愛すること熱烈で、周の
武王が木像を載せて文王と称し、主君の紂《ちゅう》を討つ時、彼らは父が死んで葬《ほ....
「三国志」より 著者:吉川英治
、郭図は次に起立して、 「いま曹操を討つのを、誰が無名のいくさと誹りましょうぞ。
武王の紂を討ち、越王の呉を仆す、すべて時あって、変に応じたものです。いたずらに安....
「三国志」より 著者:吉川英治
分の二を占むるにいたり、民心も彼に帰せんとしておる。賊といわば、舜も賊、禹も賊、
武王、秦王、高祖ことごとく賊ではないか」 「お黙りなさい!」 孔明は、叱ってい....
「三国志」より 著者:吉川英治
まになであげられたような気がしたのだろう。むっとして色をなしてすぐ云った。 「昔
武王は、紂を討って、初めに歌い、後に舞ったという。
武王の兵は、仁義の兵でなかった....
「三国志」より 著者:吉川英治
わった。 「いや、諸員の思うところは、かねてわれらも心していたところである。先君
武王のご遺言もあること、おそらく魏王におかれてもご異存はあるまい」 三重臣のこ....