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「武臣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

武臣の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
運命」より 著者:幸田露伴
を尽して世を治め、慮、仁明孝友にして、天下心を帰す、宜しく大位に登るべし。中外文武臣僚、心を同じゅうして輔祐し、以て吾が民を福せよ。葬祭の儀は、一に漢の文帝の如....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
らも、又秀吉の後たるべき三好秀次からも、明年小田原征伐の砌《みぎり》は兵を出して武臣の職責を尽すべきである、と云って来ている。家康から、早く帰順の意を表するよう....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
というものには、まったく縁のなかった彼である。 本阿弥家は、由緒のある足利家の武臣の末であるし、現在でも前田大納言家から年禄二百石が来ているし、宮家にも知遇を....
三国志」より 著者:吉川英治
は、抱き止めたまま、声をしぼって諭した。 「しかし、なんであろうと、董卓は皇室の武臣である。朝臣を弑逆すれば、理非にかかわらず、叛逆の賊子といわれねばならぬ。そ....
三国志」より 著者:吉川英治
さら道を変えて奔ってもどうなろう。後ろも敵軍、前も敵軍。 そう考えたか、扈従の武臣朝官たちは、早くもここを最期と叫んだり、或る者は、逃げる工夫に血眼をさまよわ....
三国志」より 著者:吉川英治
、日頃、将軍が愛されていた秘院の女房や寵妾へおっしゃったらいいでしょう。われわれ武臣は、将軍から百杖の罰や苛酷な束縛は頂戴したおぼえはあるが、将軍の愛する婦女子....
三国志」より 著者:吉川英治
、秘蔵の赤地錦の戦袍を取寄せ、それを広苑の彼方なる高い柳の枝にかけさせた。そして武臣の列に向い、 「各※の弓を試みん。柳を距つこと百歩。あの戦袍の赤い心当を射た....
三国志」より 著者:吉川英治
する者の心構えの一つとして、孔明はこれを生活にも実践したものであろう。後漢以来、武臣|銭を愛すの弊風は三国おのおのの内にも跡を絶たなかったものにちがいない。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
されたものを」 「なおさら、封のまま、お返し申すのが、礼ではないか。およそ天子が武臣へ、告文を以て、御身の潔白を立てんとされたなどは、和漢にもその例なく、何とも....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ない御父の後伏見法皇のお声が、 「今となって……」 と、簾下にひれ伏している一武臣を、あららかに、満身のおいきどおりで叱ッていた。 「そちはなんと言った! か....
私本太平記」より 著者:吉川英治
公卿にして実戦も経てきた忠顕にすれば、今日の曠れに、この名誉第一の役を、他の一武臣などに委ねてはおけない気概だったものだろう。 そして鳳輦(みくるま)のすぐ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の間でも廊でも紛々たる騒めきである。 公卿ばかりでない。新田、名和、結城などの武臣も、ひっきりなしの参内だった。――わけて千種忠顕は早々に出仕して、上卿の面々....
私本太平記」より 著者:吉川英治
てみても、いまの私の思いはこれを筆舌にすることもできませぬ……。 北朝の公卿、武臣、参列の大衆は、時々、彼の声を疑うように眼をうごかした。 追悼の願文は、お....
黒田如水」より 著者:吉川英治
は、信長を主君としているものにはちがいないが、その信長は、皇室と衆民のあいだの一武臣たる位置にあることを常にわすれてはいないようだ。そうした彼の思想は父信秀の代....