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武蔵七党
「武蔵七党〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武蔵七党の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
西と南は秩父である。この郡のマンナカあたりの村から塙保己一が生れている。 古の
武蔵七党が割拠したところで、この郡にユカリのあるのは、児玉党、丹党、猪俣党の三党....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
史上有名の人物といえば、布衣から起こって関八州を領した、彼の小田原の北條|早雲、
武蔵七党の随一と云われた、立川宗恒、同恒成、足利学校の創立者、武人で学者の上杉|....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
となっていた。 もっとも、それが南下してきた道すじの児玉郡や比企地方は、古来“
武蔵七党”の山野であり、熊谷、秩父などの無数の古源氏が蟠踞しているところである。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
撃軍は、少数ではない。上杉|憲顕をはじめ、江戸氏、葛西党、三浦一族、坂東八平氏、
武蔵七党などの混成旅団で、あなどりがたい兵質と数であった。 顕家は、このとき、....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
をさまようであろうが、自分のいまいる西多摩地方を始め、東京近県の地は、名にしおう
武蔵七党の発祥地であり、どこを歩いても、平氏、源氏の徒が、歩いていた所でない地は....