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「武術〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

武術の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
。 忠直卿は国に就かれて以来、昼間は家中の若武士を集めて弓馬槍剣といったような武術の大仕合を催し、夜は彼らをそのままに引き止めて、一大無礼講の酒宴を開くのを常....
仇討三態」より 著者:菊池寛
、俺と槍術の話になったのじゃが、つい議論になってなあ。相手が、『料理番の貴殿に、武術の詮議は無用じゃ』と、口を滑らしたのが、お互いの運の尽きじゃ。武士として、聞....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
加っていたら、名分の上からも、いくらかごまかしがつくし、殊に此の信澄は軽捷無類の武術があまりうまくなり過ぎて、武術の師匠を冷遇したので、その連中が丹羽方へ内通し....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
得なかった。 「日本の文学古典には驚くばかり精通し若いに似合わぬ学者ではあるが、武術に至っては農夫にも劣り、槍にも太刀にも用がないとは、この乱れた戦国の世にはど....
続獄中記」より 著者:大杉栄
り出ようともしよう。僕は決してそれを否みはしない。殺伐な遊戯、殺伐な悪戯、殺伐な武術。その他いっさいの殺伐なことにかけては、子供の時から何よりも好きで、何人にも....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
自分に扈従する御徒士の侍どもを見るに、どうもあまり水練の心得はないらしい。水練は武術の一科目ともいうべきものであるのに、その練習を怠るのをよろしくないと思ってい....
日置流系図」より 著者:国枝史郎
道雪派、花翁派、雪荷派、本心派、道怡派の六派に別れ、いわゆる日置流六派として武家武術の表芸となり長く人々に学ばれたがこの六派の他に尚八迦流という一流があり武芸を....
生死卍巴」より 著者:国枝史郎
る見る茅野雄を追い抜いて、数間の先へ現われた。次々に数を増して来る。 茅野雄は武術の一通りには、達していることは達していたが、馬術は精妙とは云われなかった。 ....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
しらうのは困難であった。そこで義哉も刀を抜いた。 義哉は芸人ではあったけれど、武術もひととおりは心得ていた。しかし勿論名人ではなかった。とはいえ四五人の破落戸....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
長も高く肉附もよく、高尚な健康美に充たされている。行儀作法を備えているとともに、武術の心得もあるらしく、その「動き」にも無駄がない。 親子であることには疑いな....
弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
深く編笠をかむっているので、その容貌は解らなかったが、体に品もあれば威もあった。武術か兵法かそういうものを、諸国を巡って達人に従き、極めようとしている遊歴武士、....
戯作者」より 著者:国枝史郎
なかった。声の顫えるのを恐れたからである。 と、また武士の声がした。 「拙者は武術修行の者、千葉周作成政と申す。ご姓名お聞かせ下さるまいか」 しかし馬琴は返....
二人町奴」より 著者:国枝史郎
ませんでした。さてところでその長兵衛、どのような人物かと申しますに、素性は武士、武術の達人、心は豪放濶達ながら、一面温厚篤実の長者、しかも侠気は満腹に允ち生死は....
剣侠」より 著者:国枝史郎
月ほど前であった。 あんな事件から親しくなり、浪之助はその後要介方へ出入りし、武術の話を聞かして貰ったり、新影流の教えを受けたりした。 ある日行くと要介が云....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
。(即ち平日喧嘩の場合に、特に用いる術として、伊藤伴右衛門高豊が、編み出した所の武術である。) 立合抜打と称された「抜刀術」も必要であった。 「小具足腰の廻わ....