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武雄
「武雄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
武雄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
この中へ入れた「羅生門」である。その発表後間もなく、自分は人伝《ひとづて》に加藤
武雄君が、自分の小説を読んだと云《い》う事を聞いた。断って置くが、読んだと云う事....
「乞食学生」より 著者:太宰治
の様子であった。 私は、まだ佐伯に私の名前を教えていなかったのである。 「木村
武雄、木村
武雄。」と私は、小声で佐伯に教えた。太宰《だざい》というのは、謂《い》....
「骨を削りつつ歩む」より 著者:佐左木俊郎
起きているので、翌朝六時に家を出かけるのは随分辛かった。 秋になって私は、加藤
武雄氏の鞭捷によって一入《ひとしお》の努力を続けた。そして工事場では詩を作るのを....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
が玄人の眼にも、だんだんに泌みて来たと見えて、その年の十二月、紫紅君は新派の河合
武雄君に頼まれて史劇「みだれ笹」一幕(市村座)を書いた。山岸荷葉君もこの年、小団....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
以上|仕手方) 安川敬一郎、古賀幸吉、今石作次郎、金内吉平(以上|囃子方) 小嶺
武雄、宮野儀助(以上狂言方) その他故人となった人々では(順序不同)、 間辺―....
「簡略自伝」より 著者:佐左木俊郎
労働者の群に投じて約一カ年を送る。筋肉労働中、「文章倶楽部」への投書に依って加藤
武雄氏を知り、拾われて訪問記者となり、大正十四年の秋頃から「文章倶楽部」の編輯を....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
ラ・ネヴァダのマウント・ホイットニイにも見られない町である。浅間神社の主典、富士
武雄氏の好意ある接待に預かり、絵ハガキや案内記を頂戴する。絶頂の郵便局から、大宮....
「短命長命」より 著者:黒島伝治
山へ見晴しがきいて、又ちがった趣がある。 私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤
武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取ら....
「農民文学の問題」より 著者:黒島伝治
関心を意味する。 大正十三年か十四年頃であったと思う。吉江喬松、中村星湖、加藤
武雄、犬田|卯等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農民文....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
そういう関係で源之助は写真のぽうずを自分で、取ることが得意だったのである。 河合
武雄が最近亡くなったので、これで河合の芸風も消えるであろうが、この人は源之助の芸....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ったのは、もとより一人の力ではない。まえに言った藤沢や、高田や、伊井蓉峰や、河合
武雄や、喜多村緑郎や、そのほかにも幾多の功労者のあることは争われない事実であるが....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
話しても聞棄てにされるばかりで話に乗ってくれなかった。 然るに浦塩の友なる佐波
武雄が浦塩の商人徳永と一緒に帰朝して偶然二葉亭を訪問したのが二葉亭の希望を果す機....
「蛇性の執念」より 著者:大倉燁子
らしいんですの。その新聞には昭和七年と書いてありますから、その時多分新郎の御木井
武雄さんが二十七歳、新婦の綾子さんが二十二歳だったんですわね」 「新夫人はどちら....
「深夜の客」より 著者:大倉燁子
女流探偵桜井洋子のところへ、沼津の別荘に病気静養中の富豪有松
武雄から、至急報の電話がかかり、御依頼したい件が出来た、至急にお出でを願いたい、....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ままとなったのは、未だに心残りである。 大正十二年、ドイツに留学。ある日、安田
武雄中将(当時大尉)から、ルーデンドルフ一党とベルリン大学のデルブリュック教授と....