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「歩武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

歩武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
運命論者」より 著者:国木田独歩
思うと、洋杯《コップ》を手にしたまゝ自分の方へ大股《おおまた》で歩いて来る、其|歩武《ほぶ》の気力ある様は以前の様子と全然《まるで》違うて居た。 自分は驚いて....
文芸と道徳」より 著者:夏目漱石
なくなるのはやむをえない上に、社会組織がだんだん変化して余儀なく個人主義が発展の歩武《ほぶ》を進めてくるならばなおさら打撃を蒙《こうむ》るのは明かであります。 ....
草枕」より 著者:夏目漱石
たく》みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武《ほぶ》を斉《ひとし》ゅうして、毫《ごう》も遜《ゆず》るところを見出し得ない....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
たので、単にブルジョア政界や財界に於てブルジョアジーの自信ある前進に沿うて進取の歩武を進めることが出来たばかりでなく、文学運動や文筆活動に於ても帝大の追随を許さ....
ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
り込んで来たか。それに対して吾輩が如何なる観察を下し、如何なる方法に依って研究の歩武を進めて来たか、且つ又、その研究によって摘発されたる第二回の発作の内容の説明....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
元に迫って来て、いよいよ近づいて、いよいよ冴《さ》えて来る。どうして、あちらから歩武を揃えて堂々と前進し来《きた》る合唱でないとは言われません。そこで、米友が再....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
け足で通って左右のものが目にも映らなかった年ではありませんでした。その点では寧ろ歩武堂々たるものがありました。そしてわたしも、去年はもたなかった道を歩きその豊富....
科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
近までのわが国の科学的な日本研究は、正にこの線に沿うて、部分的にしろ可なり着々と歩武を進めて来ていることを知らねばならぬ。この労作の蓄積とその方向とを無視して、....
新疆所感」より 著者:日野強
の執拗なる、一頓挫のために宿志を放棄するものにあらず、鋭意イリに対する施設経営の歩武を進め、露国の勢力がイリ一帯の地に瀰漫(びまん)しつつあるは、ひとたびイリの....
和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
、全体としてまことに立派なものであったのは、要するに天才の閃きであり、また着々と歩武を進めて研究を遂行する熱情に富んだがためである。会田安明が諸種の問題を捉えて....
三国志」より 著者:吉川英治
入るその軍馬を、幕舎の傍らから見ていた。 総勢、約千五百の兵。 隊伍は整然、歩武堂々。 「そもこの精鋭を統べる将はいかなる人物か」を、それだけでも思わすに足....
三国志」より 著者:吉川英治
になった!」 「やっ。御剣ですか」 「知れたこと。――思うに玄徳の一行は大半が徒歩武者、馬を飛ばせば、ふたたびまたたく間に追いつこう。徐盛、丁奉のふたりは、早々....
三国志」より 著者:吉川英治
頤を突きぬいていた。 木鹿は地響きして落ちた。きょう孔明の四輪車を押していた徒歩武者は、関索以下、ことごとく蜀の錚々たる旗本だったのである。木鹿はみずから好ん....
私本太平記」より 著者:吉川英治
らであろう。二百たらずの小勢であった。けれど二階堂のやしきから貝の音にしたがって歩武堂々と町なかも意識して粛々とながれて来た。期待のとおり装いも見事であった。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
を掃蕩しながら、その日の午後にはもう博多の内へ入っていた。 尊氏の博多入りは、歩武堂々な入市ではない。途々、降参人を入れ、掃蕩の余勢を駆ッて、いつか巷に乱入し....