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死を賜
「死を賜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
死を賜の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
「我不殺生をもってあなたのチベット行を送る。もしこの誓いを破らば不動明王それ我に
死を賜え」と。その時には私はわが生命を救われたかのような喜びを生じたです。堺では....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
、その結合が破れたときにはその悲傷もまた深刻である。万葉集の巻の三には大津皇子が
死を賜わって磐余の池にて自害されたとき、妃山辺の皇女が流涕悲泣して直ちに跡を追い....
「運命」より 著者:幸田露伴
見ゆるを得ば、巍も亦以て愧無かるべし。巍至誠至心、直語して諱まず、尊厳を冒涜す、
死を賜うも悔無し、願わくは大王今に於て再思したまえ。と憚るところ無く白しける。さ....
「死生」より 著者:幸徳秋水
死んだ、而して亦た孰れも真に所謂「名誉の戦死」であった。 若し赤穂義士を許して
死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りを克くし....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ある。 大津皇子は天武天皇崩御の後、不軌を謀ったのが露われて、朱鳥元年十月三日
死を賜わった。伊勢下向はその前後であろうと想像せられて居るが、史実的には確かでな....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
のである。幕府の参政田沼玄蕃頭は耕雲斎らが政敵市川三左衛門の意見をいれ、宍戸侯に
死を賜わったという。それについで死罪に処せられた従臣二十八人、同じく水戸藩士|二....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
|榊原勘解由、大番頭石川|内蔵允の三人を二之丸向かい屋敷に呼び寄せ、朝命をもって
死を賜うということを宣告した。なお、佐幕派として知られた安井長十郎以下十一人のも....
「八人みさきの話」より 著者:田中貢太郎
二人の見る前で静に自殺した。死骸は吾川郡木塚村西分へ葬った。 元親の怒に触れて
死を賜わった者は、他に比江山親興、永吉飛騨守、宗安寺真西堂、吉良彦太夫、城内大守....
「李陵」より 著者:中島敦
た。憤激よりも先に、驚きのようなものさえ感じていた。斬《ざん》に遭《あ》うこと、
死を賜《たま》うことに対してなら、彼にはもとより平生から覚悟ができている。刑死《....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
家パピニアーヌス(Papinianus)を召して、命じて曰く、 朕、今ゲータに
死を賜えり。汝宜しくその理由を案出して罪案を起草すべし。 と、声色共に※《はげ....
「阿部一族」より 著者:森鴎外
毒千万である。しかし上の御政道に対してかれこれ言うことは出来ない。ただ権兵衛殿に
死を賜わるとなったら、きっと御助命を願って進ぜよう。ことに権兵衛殿はすでに髻《も....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
たをお助け下された大恩人を死なしてよいものか。半兵衛殿がご主君のおとがめによって
死を賜わらぬ前に、そなたは帯びておるその短刀をもって自ら腹を切って死ね。父が見て....
「三国志」より 著者:吉川英治
「では行こう、ついて来い。忠義の行いでいちばん難しいことは、上に善言して上より
死を賜うも恨まずということだぞ」 ぼくっ、ぼくっ、と鍬を打つ。土のにおいが面に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
罪科をかぞえ上げ、将来のためをも説いて、このさい彼を流罪に処すか、いっそのこと、
死を賜うとして、切腹を命じるかの、いずれかの決断をせまるのを目的としてその方にも....