死傷者[語句情報] » 死傷者

「死傷者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

死傷者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ゼラール中尉」より 著者:菊池寛
こえてきた。ガスコアン大尉は、さすがにゼラール中尉の生死が気遣われた。彼は倒れた死傷者を一人一人見て歩いた。そしてやっとのことで、砲身のすぐ横に血に染まって倒れ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。 ◯ラジオ報道によると、豊島、板橋、王子、四谷が、もっとも多く燃えた由。しかし死傷者は少ないとの事である。去る三月十日の空襲は死傷がひどく、昨日も四十七ヵ所で....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
から、いよいよ油断はなりません。 今度の事変にも、北支に、上海に、もう幾人かの死傷者を出したようです。この事変がどこまで拡大するか知れませんが、従軍記者諸君の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、尾州方の役人も、ひとしく目撃したところである。中津川、三留野の両宿にたくさんな死傷者もできた。街道には、途中で行き倒れになった人足の死体も多く発見された。 ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
宿|落合の被害は馬籠よりも大きかったということで、潰れ家およそ十四、五軒、それに死傷者まで出した。こんな暴風雨に襲われたことはこの地方でもめったにない。しかし強....
土鼠と落盤」より 著者:黒島伝治
なア!」 坑外では、緊張した女房が、不安と恐怖に脅かされながら、群がっていた。死傷者の女房は涙で眼をはらしていた。三ツの担架は冷たい空気が吹き出て来る箇所を通....
戦話」より 著者:岩野泡鳴
僕にはほんまの勇気やろ――を出して後方にさがった。独立家屋のあたりには、衛生隊が死傷者を収容する様子は見えなんだ。進んだ時も夢中であったんやが、さがる時も一生懸....
空襲警報」より 著者:海野十三
ムに駈けあがり、そこに停車していた列車にわれがちに乗りこんだが、そこでも百人近い死傷者が出た。 列車の中にはいれない人は、窓の外にぶら下り、屋根の上によじのぼ....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
の調子の安定より以上に必要だろうと思う。調子、色彩、リズムの不整頓な絵画を見せて死傷者を出した展覧会というものはない。 しかしながら明治以来われわれは単位のま....
灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
まうようにもなったのではあったが、度々神戸も空襲され、すぐ近所まで焼け跡になり、死傷者が続出すると、私の心の隅に、ふたたび死ということが、鮮明に刻みこまれるよう....
宝島」より 著者:佐々木直次郎
出をしたが、 生き残ったはただ一人。」 そして、これは、その朝あれほど無残にも死傷者を出した連中にとっては、幾らか陰惨にも適切過ぎる唄だと、私は思った。しかし....
沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
水の方を眺めて見ると独木舟がおよそ十五、六隻|周章てふためいて逃げて行く。多数の死傷者があるらしい。味方の土人は勢いを得て岸に沿うて敵を追おうとしたがラシイヌは....
坑鬼」より 著者:大阪圭吉
、却って係長を青白い恐怖の底に叩き落してしまうのだった。 滝口坑では、いつでも死傷者に対して炭坑独特の荒っぽい検屍を、救護室で行うことになっていた。それは坑道....
火に追われて」より 著者:岡本綺堂
憶しているが、これも随分ひどい揺れ方で、市内に潰れ家も沢山あった。百六、七十人の死傷者もあった。それに伴って二、三ヵ所にボヤも起ったが、一軒焼けか二軒焼けぐらい....
九月四日」より 著者:岡本綺堂
驚かしたのは、死んだ人の多いことであった。 震災当時、麹町には殆ど数えるほどの死傷者もなかった。甲の主人、乙の細君、丙のおかみさん、その人々の死んだのは皆その....