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「殊と〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

殊との前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
善の研究」より 著者:西田幾多郎
しむる力である、たとえば植物の種子の如き者である。もし個体より抽象せられた他の特殊と対立する如き者ならば、そは真の一般ではなくして、やはり特殊である、かかる場合....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
言葉では、とても思いのままを、率直に、他人につたえることはできないのです。 文殊と維摩の問答 ところで、これについて想い起こすことは、あの『維摩経』にある維摩....
絶対矛盾的自己同一」より 著者:西田幾多郎
れは抽象的合理論者の考える如く、歴史的過去が否定せられるとか、特殊が単に一般の特殊となるとかいうことではない。原始社会というものが、既に矛盾的自己同一として成立....
解釈学と修辞学」より 著者:三木清
ても、心服させることはできぬ。修辞学はつねに一般的なものの特殊化を求め、一般と特殊との綜合としてそれは表現的である。我々は自分の理由によって他の者を屈服させるこ....
恐怖の季節」より 著者:三好十郎
冷厳な、もっと深い関心からだ。自分一個の経験と他の人々の数多の経験の間の普遍と特殊とを照し合せ、修正し合って、それを客観的な「人類の経験」として跡づけたいという....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
に登った。五台山はご承知の通り文殊の道場となっており、清凉山と稱しております。文殊というのは詳しくは文殊室利(マンジュシュリー)といいますが、満洲朝の興りました....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
である文殊菩薩は、さすがに自信があるものかこれを引受けて出かけます。智慧の横綱文殊と体験の横綱維摩との立合い問答、これこそ見もの聞きものだというので十大弟子はじ....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、ちょうど似合うだろう」 「また!」 とお通が、嫌がって顔を紅らめると、 「文殊と普賢菩薩は、どうしてあんなに並んでるんだろう。男と女でもないくせに」 と、....
」より 著者:吉川英治
っと棟方与右衛門はそのままとなった。 遺書の宛名は、十川安太郎父子殿―― お殊と安太郎の婚礼の式は、与右衛門の喪中であるに拘らず、その秋、新田一万石の初刈入....