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「殿中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

殿中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
煙管」より 著者:芥川竜之介
まん》な性質のものではなかったかも知れない。が、彼自身が見せびらかさないまでも、殿中《でんちゅう》の注意は、明かに、その煙管に集注されている観があった。そうして....
忠義」より 著者:芥川竜之介
《ほっさ》が、夏が来ると共に、漸く怠《おこた》り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、惧《おそ》れない訳ではない。が、林右衛門は....
吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
替えだ」二人は、接待についての細かな費用の計算を始めた。 三殿中で高家月番、畠山民部大輔へ、 「今度の勅使饗応の費用の見積りですが、ちょっと....
恩を返す話」より 著者:菊池寛
の将士は忠利侯から御盃を頂戴した。甚兵衛も惣八郎も、百石の加増を賜った。その日、殿中の廊下で甚兵衛は惣八郎に会った。惣八郎は晴々しい笑顔を見せながら、 「御同様....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
人が数十も立っていて、いずれも朱衣、大冠、剣を執って整列し、そのうしろの石壁には殿中将軍とか、侍郎常侍とか彫刻してある。それらの護衛から想像すると、定めて由緒あ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
にあたって、笙歌の声が俄かにきこえたので、彼は怪しんでみずから見とどけにゆくと、殿中には数十の人が手に楽器を持っていた。しかも、かれらにはみな首がなかった。 ....
葛の葉狐」より 著者:楠山正雄
ずみを追い回しました。みんなは「あれあれ。」とさけんで、総立ちになって、やがて御殿中の大さわぎになりました。 これで勝負はつきました。芦屋の道満は位を取り上げ....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
力と同心であった。 「藪氏」 と和泉守は声をかけた。「おさらばでござる。いずれ殿中で……」 「は」 といったが紋太郎はどういってよいかまごついた。 「あまり....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
か。」 鶴見が新聞に出した短文というのは、平安朝時代に卯の花熱が急に昂まって、殿中の女房たちを田園に引き寄せた事実に対して、うつぎを漢土から渡来のものではある....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
主として講じましたは、帝に仕え奉る、庶民の具体的の方法でござって、京師方の公卿や殿中人を、標準といたしたものでござるが、ただちに関東の武家方にも、あてはまるべき....
間人考」より 著者:喜田貞吉
の席において脇の間に着座することから間脇と呼ばれるに至ったのではあるまいか。幕府殿中においても諸大名諸士の出席を間を以て分ち、その階級を示した事であった。「脇」....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
ものは特別の許可を得るを要し、かつ礼服を着用せざるべからず。しかして平日は法王深殿中に起居し、絶えて市中に出ずることなし。ゆえに、大祭日にみずから礼壇に上りて供....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
ったときはあるまい、と。 慧鶴が十七歳のときは元禄十四年であったから、千代田の殿中で浅野内匠之頭の刃傷があり、その翌年慧鶴十八歳の暮に大石良雄の復讐があった筈....
エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
後までもエタの下と見られていたもので、世間からも余程軽くこれを扱っていた。「鎌倉殿中問答記録」に、「鍛冶・番匠の様なる云甲斐なき者」と云い、「当道要集」に、「舞....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
、自ずからその語が賤しくなる。はては特殊の賤業者にまで多く用いられることになる。殿中にあって将軍大名の雑役に服するものも、遊里にあって嫖客の興を助くるものも、み....