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母后
「母后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
母后の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
記』に烏鶏国王を井に陥《おとしい》れ封じた道士がその王に化けて国を治む、王の太子
母后に尋ねて父王の身三年来氷のごとく冷たしと聞き、その変化《へんげ》の物たるを知....
「源氏物語」より 著者:紫式部
に源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、
母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなく....
「源氏物語」より 著者:紫式部
殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。 入道の宮をまた新たに御
母后《ごぼこう》の位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院《にょ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
たことの皆終わったころになってかえって帝はお心細く思召《おぼしめ》した。女院の御
母后の時代から祈りの僧としてお仕えしていて、女院も非常に御尊敬あそばされ、御信頼....
「源氏物語」より 著者:紫式部
から、自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御
母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏の后《きさき》の立つことは一方に偏したこ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。昔の尚侍を朱雀院の
母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんなのであったと、....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ぬと思って出て行った。賭弓の競技が御所で二月にありそうでなかった上に、三月は帝の
母后の御忌月でだめであるのを残念がっている人たちは、六条院で弓の遊びが催されるこ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
源氏の弟宮の八の宮と呼ばれた方で、冷泉院が東宮でおありになった時代に、朱雀院の御
母后が廃太子のことを計画されて、この八の宮をそれにお代えしようとされ、その方の派....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
なる構造が説明せらるべきである。かくて罹災後これを新敷地に再興するに当り、新たに
母后の御為に阿弥陀仏の尊像を安置すべく、金堂のみは三本尊並置の予定を以て、今見る....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
、首なき母親の哺育ということが、この物語のヤマなのである。王子は四歳まで育って、
母后の兄である祇園精舎の聖人の手に渡り、七歳の時大王の前に連れ出されて、一切の経....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
えむと絶えぬ玉の緒 神聖にして犯すべからざる王者が、その意志の自由にそむいて、
母后の上に思を馳せられながら、北海の孤島に十九年の月日を送られねばならなかったこ....
「三国志」より 著者:吉川英治
った。 これにもとづいて、三重臣は、曹叡を後主と仰ぎ、また曹丕に文帝と諡し、先
母后甄氏には、文昭皇后の称号を奉った。 自然魏宮側臣の顔ぶれや一族の職にも改革....