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母子
「母子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
母子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
ばならなかった。一方をもみ消すためには一方にどんと火の手をあげる必要がある。早月
母子《さつきおやこ》が東京を去るとまもなく、ある新聞は早月《さつき》ドクトルの女....
「星座」より 著者:有島武郎
場前のアカシヤ街道には街燈がともっていた。おたけさんとはぐれたので婆やは三隅さん
母子と連れ立って南を向いて歩いた。
「星野さんがお帰りてから何んとかお便りがあり....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
義理なる借金を払いて、手もとに百余円を剰《あま》してけり。これをもってせば欣弥|
母子《おやこ》が半年の扶持に足るべしとて、渠は顰《ひそ》みたりし愁眉《しゅうび》....
「姪子」より 著者:伊藤左千夫
手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一ぱい小牛に当てがって、
母子がさも楽しそうに黒白|斑《まだら》の方のやつを洗ってやってる、小牛は背中を洗....
「守の家」より 著者:伊藤左千夫
て駈け降りて来た。お松の母も降りて来た。「良くまア坊さんきてくれたねえ」と云って
母子して自分達を迎えた。自分は少しきまりが悪かった。母の袖の下へ隠れるようにして....
「夜行巡査」より 著者:泉鏡花
ま》となして、少しにても多量の暖を与えんとせる、母の心はいかなるべき。よしやその
母子《おやこ》に一銭の恵みを垂《た》れずとも、たれか憐《あわ》れと思わざらん。 ....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
な色が眉の根に浮んだ。 「どうして、学校で、」 とこの際わざと尋ねたのである。
母子で参観したことは、もう心得ていたのに。 十七 「どうもこうも無....
「草迷宮」より 著者:泉鏡花
蒲と言いました。 一体その娘の家は、母娘二人、どっちの乳母か、媼さんが一人、と
母子だけのしもた屋で、しかし立派な住居でした。その母親というのは、私は小児心に、....
「菎蒻本」より 著者:泉鏡花
が、二七講の景気づけに、縁日の夜は縁起を祝って、御堂|一室処で、三宝を据えて、頼
母子を営む、……世話方で居残ると……お燈明の消々時、フト魔が魅したような、髪|蓬....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
いませぬ。その一つは私の母がわざわざ訪ねて来てくれたことで、それが帰幽後に於ける
母子の最初の対面でございました。 この対面につきては前以て指導役のお爺さんから....
「真夏の夢」より 著者:有島武郎
にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた
母子二人は二十|匹にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。 子どもは顔をおか....
「軽女」より 著者:上村松園
型の一人である。 このお軽の心情を描いたのは明治三十三年である。「花ざかり」「
母子」の次に描いたもので、この故事に取材した「軽女惜別」はわたくしにはなつかしい作品の一つである。....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
銅牌)「孟母断機」 同 三十三年 「花ざかり」日本絵画協会出品(二等銀牌三席)「
母子」巴里万国博出品(銅牌)「婦女惜別」新古美術展創立十周年回顧展出品(二等銀牌....
「京のその頃」より 著者:上村松園
川時代の面影を半ばは残して、一入懐かしいものがあった。 この間帝展に出品した「
母子」は、その頃への私の思い出を描いたものだが、いわば私一人の胸の奥に残されてる....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
りました。私はこの母の慈愛を忘れることは出来ません。私が〈税所篤子孝養の図〉や〈
母子〉など美人画にあまり類例の無いと言われる母性愛を扱いましたのも、この母の愛が....