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母校
「母校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
母校の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「競馬」より 著者:織田作之助
た。寺田は京都生れで、中学校も京都A中、高等学校も三高、京都帝大の史学科を出ると
母校のA中の歴史の教師になったという男にあり勝ちな、小心な律義者《りちぎもの》で....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
から、校舎も又その位置も私たちの通学当時とはまったく変ってしまった。したがって、
母校とは云いながら、私たちに取っては縁の薄い方である。 そのほかに元園町に堀江....
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
時友人の一人が酔った余り乱暴を働いて警察に留置され、事が面倒になったので、山田は
母校の先輩である当時警視庁の官房主事をしていた庄司氏を訪ねて、援助を乞うた。庄司....
「嵐」より 著者:島崎藤村
の時だ。太郎はすでに中学の制服を着る年ごろであったから、すこし遠くても電車で私の
母校のほうへ通わせ、次郎と末子の二人を愛宕下の学校まで毎日歩いて通わせた。そのこ....
「町内の二天才」より 著者:坂口安吾
うなると、自分の倅のことだから、メメズ小僧と正坊の対局よりも心配だ。町内の者も、
母校の生徒も、応援に行ってもムダだから行かないと云ってるそうだから、金サンは亢奮....
「文化祭」より 著者:坂口安吾
思うのですが、それも純粋な芸人でなしに、大学生のジャズバンドですね」 「アナタの
母校ですね」 「そういう関係は意味ないです。大学生のバンドにも本職ハダシのがあっ....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
潟中学へ伝えられ、この伝授の世話係は私の兄献吉であったようだ。彼がどういうわけで
母校の水泳の世話係をやっていたのか、その理由が私には分らない。スポーツには全然縁....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
やら一個のパン屋として、苦しいなりにも独立自営の目途がついたのであった。 私の
母校東京専門学校の大学昇格資金に、金壱百円を寄付することが出来たのは、たしかそれ....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
まして、これを自分の店にも応用して見ましたところ、大いに効果が挙りました。これは
母校の賜と感謝して居る次第であります。 私の所の店員の俸給は、充分とは申せない....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
があったのである。 実は、大河無門は、一昨年の春京都大学の哲学科を出ると、すぐ
母校である千葉県の中学校に奉職したが、もともと、いわゆる教壇的教育には大した興味....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
何故かなやましく痛く私にひびいた。 僕も体を練ろう! 私はこう決心していた。
母校の建物が私の目に浮んで来た。三つの川の巴を描くところ、七日市河原のグランドの....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ス大阪である。ミス大阪という取澄ましたところが全然なくて甚しく平凡なのが面白い。
母校の帝塚山学院の幼稚園だか小学校だかで保健婦? ちがったかも知れん。とにかく、....
「ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
音楽であった」とロランは『幼き日の思い出』の中に書いている。二十三歳のときパリの
母校|高等師範学校の留学生としてローマに行き、当時七十歳をこえていたドイツの老婦....
「黒板は何処から来たのか」より 著者:小倉金之助
ポイントの名を高くすることになったのである。 ところで、私たちは、クローゼーの
母校、パリのエコール・ポリテクニクにまで遡らなければならない。この学校こそは、「....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
何かというとすぐ口癖のように歌い出す程あまねくひろまったこのなつかしい「われ等が
母校」の歌が、はじめて「早稲田の森」から歌い出されたのは、明治四十年の秋、大学創....