比叡山[語句情報] » 比叡山

「比叡山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

比叡山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ある心の風景」より 著者:梶井基次郎
北には加茂の森が赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累《かさな》って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤|煉瓦《れんが....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
に苦しくても離れる気にはなられません。 良寛 ごもっともでございます。(間)私は比叡山と奈良の僧侶たちが憎くなります。かほどの尊い聖人様をなぜあしざまに讒訴した....
愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
いかにももの凄く響いたのである。君の態度は君の手紙のなかにあったごとく、平将門が比叡山から美しい京都の町を眺めて、「ええッあの中にあばれ込んでできるだけしつこく....
ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
暁・行満などに於ける関係、経典疏注すべて二百三十部四百六十巻其他を将来したこと。比叡山天台宗開祖となったこと。空海の恵和・牟尼室利・曇貞などに於ける関係。最澄よ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
南滋賀町あたりだろうという説が有力で、近江の都の範囲は、其処から南へも延び、西は比叡山麓、東は湖畔|迄至っていたもののようである。此歌は持統三年頃、人麿二十七歳....
牛若と弁慶」より 著者:楠山正雄
た。 牛若はもう十四、五になっていました。 二 そのころ京都の北の比叡山に、弁慶という強い坊さんがありました。この弁慶は生まれる前おかあさんのおな....
学生と読書」より 著者:倉田百三
そして「問い」こそ自発的に読書への欲求を促すものである。法然はその「問い」の故に比叡山で一切経をみたびも閲読したのである。 書物は星の数ほどある。しかしかよう....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
。法燈暗く石山城、本願寺も勢力を失うだろう。一向一揆も潰されるだろう、天台の座主比叡山も、粉砕されるに相違ない。世は乱れる。世は乱れる! だが先ずそれも仕方がな....
取返し物語」より 著者:岡本かの子
さえ立てばええ。わしもその中の一人やからな。だが、なんしい十年まえ大谷の御廟所を比叡山の大衆に焼き払われてから、大将株のお上人さまは加賀、越前と辺海の御苦労。悪....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
するものが住んでいる。 地主神とは多くの寺に附き物で、ことに山間のそれに多い。比叡山の地主神|大山咋神は、最澄によって山王権現として祭られている。高野山の地主....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
やはり秦人が祭ったので、これは後に女婿鴨県主家に譲ったのだとある。 伝教大師が比叡山を拓くや、これも地主神たる大山咋神を山王としてこの山に祭る。弘法大師が高野....
古事記」より 著者:太安万侶
ります。次にオホヤマクヒの神、またの名はスヱノオホヌシの神です。これは近江の國の比叡山《ひえいざん》においでになり、またカヅノの松の尾においでになる鏑矢《かぶら....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
仏教は、支那天台宗の外に禅宗、密教、律宗もありました。これらの四宗の長所を摂り、比叡山を開いて日本天台を創められたのですが、大師の独創として日本天台の宗義の中心....
仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
は、これまでの疲れが幾らか休まるような気持でもあった。これまでの疲れというのは、比叡山で連日『歌』の修行をし、心身へとへとになったのをいうのである。 乗合自動....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
において、これらの徒に近づくことを避ける事も実際やむをえなかったであろう。かくて比叡山では、穢者の登山をまでも禁じておった。また高野山では、今でも山内諸院の門に....