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毛利元就
「毛利元就〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
毛利元就の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
陶は不快に感じて遂に義隆に反して、天文十九年義隆を殺したのだ。 此の事変の時の
毛利元就の態度は頗る暖昧であった。陶の方からも義隆の方からも元就のところへ援助を....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
く倦んだ士気を如何に作興するかにある。 此の時小早川隆景進言して言うのに、父の
毛利元就が往年尼子義久と対陣した際、小歌、踊り、能、噺をやって長陣を張り、敵を退....
「蟹工船」より 著者:小林多喜二
ったが。 「殺されたくないものは来れ!」 ――その学生上りの得意の宣伝語だった。
毛利元就の弓矢を折る話や、内務省かのポスターで見たことのある「綱引き」の例をもっ....
「空襲警報」より 著者:海野十三
この作業のときに一番気がついたことは、共同の力の大きいということだった。 昔、
毛利元就は三本の矢を一度に折ることのむつかしいことから、協力の大事なことを説いた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》を読み了《おわ》ると、お松が、 「このお話はどうも、わたくしが子供の時に聞いた
毛利元就《もうりもとなり》公のお話と、あんまりよく似過ぎておりますから、ことによ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
る。 お民は、俊三の入学式をすまして帰って来ると、すぐ恭一と次郎を呼んで、昔、
毛利元就が子供たちに矢を折らしたという逸話を、如何にも勿体らしく話して聞かした。....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
ている。その勢力は微少だともいえるが、尼子一族と毛利家との闘争は、実に大永年間、
毛利元就が尼子経久領を奪取して以来のもので、以後五十余年の長きあいだを、子々孫々....
「俗臭」より 著者:織田作之助
資会社を設立しようといった。後顧の憂いがあっては一か八かの勝負は出来ぬ。それに、
毛利元就の教訓。 「千恵造も仲間にしてやれ」 この一言は、政江の口元をほころば....