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民権論
「民権論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
民権論の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
るがゆえにあらずや。しかれども爾後一年を経ずして士論はこの急進論を奉じ、いわゆる
民権論は政府に反対して勃興するに至る。 民選議院論派は第一期の政論派の後殿とし....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
藤南白」)。「他日必ずこれを活用するの時あらん」の一語、含蓄深遠、当時既に後年の
民権論勃興を予想し、これに依って大いになすことあらんとしたものの如く思われる。し....
「近世快人伝」より 著者:夢野久作
してやろうという気になった」 と後年の奈良原到翁は述懐した。 玄洋社が板垣の
民権論に加勢するに決した事がわかると当時の藩閥政府はイヨイヨ震駭した。玄洋社と愛....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
に発表したという事実は、深刻に日本の明治開化の非近代的な性格を反映している。自由
民権論者の間に、男女平等は唱えられたが、その局部的な火は憲法発布の反動の嵐に消さ....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
だろう(ドイツは割合この点、日本に似た処を有っている)。ブルジョア急進主義や自由
民権論に対して闘わなければならなかったのはいつもこの官僚であった。憲法発布後大正....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
同志社の主義の下に立って、暗に政府に反抗する如くにも見えたので、政府はその頃自由
民権論に対して多少鎮圧を加えねばならぬという事になっていたから、終に岩村県令も内....
「カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
あった。ところで、教会派の大多数は断然彼を目して自党と確信したが、それと同時に公
民権論者のみならず無神論者までがいっしょになって、各自の立場から、やんやと喝采《....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
民権自由に、春の時節がおっつけ来るわいな。」 尋常の大津絵ぶしと異なり、人々
民権論に狂《きょう》せる時なりければ、妾《しょう》の月琴《げっきん》に和してこれ....
「経世の学、また講究すべし」より 著者:福沢諭吉
でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激《きげき》奇抜の
民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなす....
「学者安心論」より 著者:福沢諭吉
めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。
民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより人民の掛り合いにして、しか....
「天狗外伝 斬られの仙太」より 著者:三好十郎
味方にし相手にするのは、この種の人間だ。これが第一歩だ。中央に坐りこんで机の上の
民権論ばかりで日を暮している板垣輩、または星先生一党の是非ならばいざ知らず、富永....
「斬られの仙太」より 著者:三好十郎
味方にし相手にするのは、この種の人間だ。これが第一歩だ。中央に坐りこんで机の上の
民権論ばかりで日を暮している板垣輩、または星先生の一党の是非ならばいざ知らず、富....
「デモクラシーの要素」より 著者:新渡戸稲造
に括弧《かっこ》して後日の訳者を待つなどと附記していた。然《しか》るにその後自由
民権論が盛に行われ、殊に明治十年前後には民権党、自由党などいう看板の下《もと》に....
「赤い花」より 著者:田中貢太郎
催される演説会の演説の腹稿をこしらえていた。それは芳郎が平生の癖で、熱烈火の如き
民権論はこうしてなるのであった。 坂の右側には葛西家の新しくこしらえた土塀があ....