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「気管支〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

気管支の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
いでに、僕の吃りをもう少しここに書いて見よう。 母はそれを小さい時にわずらった気管支のせいにしていた。が、父方の親戚に大勢吃りのあることは前にも言った。生れつ....
斜陽」より 著者:太宰治
聞えているぞ」 とおっしゃった。 「浸潤では、ございませんの?」 「違う」 「気管支カタルでは?」 私は、もはや涙ぐんでおたずねした。 「違う」 結核! ....
」より 著者:徳田秋声
村にとって脱れがたい苦痛の一つであった。 その冬笹村のふと冒された風邪が、長く気管支に残った。熱がさめてからも、まだ咽喉にこびりついているような痰が取れなかっ....
獄中消息」より 著者:大杉栄
我をしたそうだが、その後の経過はいいかしら。 保子から、やれ胃腸が悪いの、やれ気管支が悪いの、やれどこが悪いのと、手紙のたびにいろいろなことを言って来るが、要....
愚かな一日」より 著者:豊島与志雄
土曜日に瀬川が訪ねて来た後の走り書きであった。その日彼は珍らしく気分がよかった。気管支加答児の方は殆んどよくなったと医者から告げられていた。朝食の膳に向うと、粥....
子を奪う」より 著者:豊島与志雄
、ぶらりぶらり歩いていった。そして母と妻とへ、報告的な告げ方をした。 「まあ僕の気管支と同じ程度のものさ。」と彼は云った。「少し気をつけてさえいれば、身体の方は....
オランウータン」より 著者:豊島与志雄
行く。昼も夜も目が離せない。 夜中の冷気にさわってか、お上さんは感冒にかかり、気管支から肺尖をいため、高熱が続いた。それでもやはり、家人のすきをねらっては、家....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
け、乞食《こじき》のようなふうをし、また痛々しい咳《せき》をしていた。途中で悪い気管支炎にかかったのである。彼がはいって来るのを見ると、ルイザは心転倒してしまい....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
身体が弱くて、かつ老衰していた。かなりの身長だったが、背は曲がり、頭は胸にたれ、気管支は弱く、呼吸が困難だった。喘息《ぜんそく》やカタルや気管支炎がついてまわっ....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
かと思われた。喉《のど》や胸や頭や心臓をたえず悩んだ。ちょっとした風邪《かぜ》も気管支炎に変ずる恐れがあった。猩紅熱《しょうこうねつ》にかかって死にかかったこと....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
にばかりだった。一度受動的な状態に陥ると、あらゆる病苦にとらえられた。流行感冒、気管支炎、肺炎などが彼に襲いかかった。その夏の大半は病気だった。クリストフはアル....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
オリヴィエは流行性感冒にかかった。彼は毎冬たいてい同じ時期にそれにかかって、古い気管支炎を再発するのだった。クリストフは二、三日彼のところで暮らした。病気はわり....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
の時間を要した。また二人はいずれ劣らぬ不養生家であることを、たがいに知っていた。気管支が悪かったりときどき息苦しさに襲われたりするにもかかわらず、ひどい喫煙家だ....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
病名肝臓|腫瘍。大一郎。明治三十四年八月八日生。死亡大正十四年二月九日。病名慢性気管支加答児。静江。明治四十年二月九日生。死亡昭和三年一月二十九日。病名腎臓炎。....
贋物」より 著者:葛西善蔵
」 耕吉はまじめな顔して言った。それはこの二年ばかし以来のことだが、彼は持病の気管支と貧乏から、最も恐れている冬が来ると、しばしばこの亡霊に襲われたと言うのだ....