水戸家[語句情報] » 水戸家

「水戸家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

水戸家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
てましたよ」 「湯島のやつは?」 「水戸さまのお屋敷のほうに向いてやしたよ」 「水戸家の前の駕籠は?」 「牛込ご門のほうです」 「そこにあったやつは?」 「四ツ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
《ひゅうがのかみ》のお下屋敷、そこから川を越えて隅田村に渡り、大川筋を寺島村から水戸家のお下屋敷まで下って、狩り納めのご酒宴があってから、めでたく千代田城へご帰....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
さを増した大川をひと下り。舟は名人、伝六、七造の三人を乗せて矢のような早さです。水戸家のお下屋敷かどから堀川を左に曲がって、瓦町《かわらまち》から陸《おか》へ上....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
て簾中母公|貞芳院ならびに公子らを奉じ、その根拠を堅めた。これを聞いた耕雲斎らは水戸家の存亡が今日にあるとして、幽屏の身ではあるが禁を破って水戸を出発した。そし....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
うやくこんな日のめを見ることのできた水戸の天狗連の話にもあらわれている。その侍は水戸家に仕えた大津地方の門閥家で、藤田小四郎らの筑波組と一致の行動は執らなかった....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ありました。その借用証は伊賀守一人の印で受取って、三万両のうちの一万両は小石川の水戸家の蔵へ納めました。けれども、あと二万両の金の行方が誰にもわからないのであり....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
でもなんでも御寵愛《ごちょうあい》なさるそうだげな、前中納言様が……」 時々、水戸家に関する有る事、ない事の浮評が、この辺、この連中にまで伝わっていると見え、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ではない、今に始まった警告ではない。 つまり、近来、浪人と称するものが、或いは水戸家の浪人とか、新徴組とかいって、相当の資産ありそうな家へ無心に押しかけて、迷....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
千代その人であり、もう一人は松平三河守の智謀、永見文庫介その人であり、もう一人は水戸家の若年寄、渡辺半蔵その人なのであった。そうしてこれらの人々は、日ごろから紋....
にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
れを得たらんには、割愛を望む』 との、ご宸翰を賜わったほどであった。 また、水戸家であったか、毛利侯であったか、ある時、塩鮭を伝献申しあげた。主上には、 『....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
人では満足しなかった。油会所時代に水戸の支藩の廃家の株を買って小林城三と改名し、水戸家に金千両を献上して葵の御紋服を拝領し、帯刀の士分に列してただの軽焼屋の主人....
向嶋」より 著者:永井荷風
以前既に荒廃して殆《ほとんど》その跡を留《とど》めていなかった。枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日ならずして....
志士と経済」より 著者:服部之総
山氏によって白石家文書のなかから発見されたものだが、甚深な興味がある。 まず、水戸家志士が井伊を討った上ただちに横浜の焼討をするという密策――これは江戸ででき....
教育家の教育」より 著者:新渡戸稲造
数多《あまた》拵《こしら》えられて一族に悉く分けてお遣りになったのである。今でも水戸家の御方は、若い御方はどうか知れませんが、年寄の御方は大抵この人形を持ってお....
」より 著者:永井荷風
した。古井戸の前には見るから汚らしい古手拭《ふるてぬぐい》が落ちて居た。私は昔|水戸家《みとけ》へ出入りしたとか云う頭《かしら》の清五郎《せいごろう》に手を引か....