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「永井荷風〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

永井荷風の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文放古」より 著者:芥川竜之介
う云う点のわかっているのは文雄《ふみお》ってあたしの従兄《いとこ》なのよ。これは永井荷風《ながいかふう》だの谷崎潤一郎《たにざきじゅんいちろう》だのを読んでいる....
「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。永井荷風《ながいかふう》が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情《なさ....
追憶」より 著者:芥川竜之介
習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂っ....
三月三十日」より 著者:太宰治
倹約の御触に就いて、その一人物が大いに、こぼしているところなのであります。私は、永井荷風という作家を、決して無条件に崇拝しているわけではありません。きのう、その....
理想の女」より 著者:坂口安吾
ないではないか。理想の女をもとめる魂、はげしい意慾のないロマンなどがあるものか。永井荷風が戯作者などゝは大嘘です。彼は理想の女をもとめてはゐない。現実の女を骨董....
森先生」より 著者:芥川竜之介
違わるる事あるを知り、反って親しみを増せし事あり。部屋は根津界隈を見晴らす二階、永井荷風氏の日和下駄に書かれたると同じ部屋にあらずやと思う。その頃の先生は面の色....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
ゞけた写生派、余裕派、低徊派等の諸文学(夏目漱石などその門下、高浜虚子、長塚節、永井荷風、谷崎潤一郎等)については、森鴎外が、軍医総監であったことゝ、後に芥川龍....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
、今さら正妻というよりも、侍女。実質的にそういう気持が起り易かろうと想像される。永井荷風先生も似たような立場であるが、もしも荷風先生が伴侶を定める場合にも、たぶ....
魔都」より 著者:久生十蘭
へ行ったのも、十五年ぶりでその男に逢うためだった。そいつはひどく日本趣味な男で、永井荷風や、小山内薫の小説を耽読して、かねて古い東京の風物に憧憬を持っている。最....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
る珈琲も恐らく憂鬱であろう。 それと同じでんで、大阪を書くということは、例えば永井荷風や久保田万太郎が東京を愛して東京を書いているように、大阪の情緒を香りの高....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
集めて十三|間の塀を作り、二尺五寸に三尺六寸の横長の黒|御影石を嵌めこみ、それに永井荷風氏が「沙羅の木」の詩を書かれたのです。その傍には詩に歌われた根府川石をあ....
夜長ノート」より 著者:種田山頭火
者を二つのサークルに分つことが出来る。 スバル、白樺、三田文学、劇と詩、朱欒。永井荷風氏、吉井勇氏、北原白秋氏、秋田雨雀氏、上田敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏....
正宗谷崎両氏の批評に答う」より 著者:永井荷風
しい心持がして止《よ》してしまった。然るにこの度は正宗君が『中央公論』四月号に『永井荷風論』と題する長文を掲載せられた。 わたくしは二家の批評を読んで何事より....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
、 やはらかな秋の光にちるぞえな。 あの小唄は私の爾後の歌謡体の機縁を開いた。永井荷風氏が褒め、新しい「白樺」の人たち、武者小路、柳、志賀、里見、萱野の諸君ま....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
いる時代であった。新佃島の海水館という下宿に、ただ一人で寝起をしていた頃、或日、永井荷風君から電話がかかって来た。森鴎外先生が慶応義塾の文科の顧問になられたにつ....