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「永享〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

永享の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
励など唱うる御役人は心得て置きなはれ。『塩尻《しおじり》』巻三十に「或る記に曰く永享七年十二月|天野民部少輔《あまのみんぶのしょう》遠幹その領内秋葉山で兎を狩獲....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
らして合戦をしたそのあとだ、陣街道の首塚と胴塚、それに三千人というのは、元弘より永享にかけて討死した三千人を葬ったところだから、今でもその魂魄《こんぱく》が残っ....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
大地震があって、京都の地も震うた。三十二年十一月には京都ばかりの大地震があった。永享五年一月には、伊勢、近江、山城に、同年九月には相模、陸奥、甲斐に、宝徳元年四....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
しからばその召仕にはいかなる者どもがおったかというに、最古参者は父公保の時代永享十一年十八歳で三条西家へ奉公し、もって実隆の代に至るまで歴仕した右京大夫とい....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
る。我々には理解のできない問題であるが、諸道の明匠が雲のごとく顕われていた応永、永享の時代を飾るに足る花なのであろう。 ところで、そういう時代の思想界から誰を....
ろくろ首」より 著者:小泉八雲
術では先生よりもすぐれて、大胆で熟練な勇士の腕前を充分にあらわしていた。その後、永享年間(西暦一四二九―一四四一)の乱に武功をあらわして、ほまれを授かった事たび....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
十七年今川了俊卒する年、正徹四十歳。その頃から旅に出たり、都でも転々と居を移し、永享元年(四十九)『徹書記物語』を書き、永享四年(五十二)には火災にあって、歌稿....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
らえたり、人民をよろこばしたりもしていますからね。――ところが足利氏の幕府だった永享から文明年間なんて、たいしたものでした」 「へ? どういう風に」 「その間に....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
えたが、これは、ちといけない。他の――平安朝期の鍍金仏器、永正古図、薬師後背仏、永享七年銘の鉄鉢、磐梯明神田植絵巻などという奈良京都の列へ持ち出しても遜色のない....