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江北
「江北〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
江北の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
で済んでしまった。それから半年ほど経つと、かの闖賊という怖ろしい賊軍が蜂起して、
江北は大いに乱れて来たので、南方でも警戒しなければならない。太平が久しくつづいて....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
原因 元亀元年六月二十八日、織田信長が徳川家康の助力を得て、
江北姉川に於て越前の朝倉義景、
江北の浅井長政の連合軍を撃破した。これが、姉川の合....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
久間三左右衛門勝重、原彦治郎、不破彦三、総勢八千五百、雪の山路に悩みながら進み、
江北木の本辺に着陣した。勝家も直に、軍二万を率いて、内中尾山に着いた。北軍の尖兵....
「蘇生」より 著者:田中貢太郎
不意にこうして縛られてきたのだ」 王は小役人の前へ走って往った。 「私の兄は、
江北の名士で君子です、どんなことがあったか知らないが、兄は悪いことをする者じゃな....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
第十の男は語る。 「わたくしは金・元を割り当てられました。御承知の通り、金は朔北の女真族から起って中国に侵入し、
江北に帝と称すること百余年に及んだのですから、その文学にも見るべきものがある筈で....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ば、この辺一帯の地は、まさしくこの人の所有権内にうつり、そうしてお城あとの中の「
江北殿《こうほくどの》」と呼ばれている部分の修補と復興が、これから女王の宮殿とな....
「秦の出発」より 著者:豊島与志雄
、鎮江の金山寺にしばしば詣で、其後、参禅の修業を積んだ。それから二十歳すぎた頃、
江北のさる道教寺院で、祈祷の秘義を修め、霊界との交渉を得るに至った。数年を経て、....
「放水路」より 著者:永井荷風
死んだ。それらのために、わたくしは今年昭和十一年の春、たまたま放水路に架せられた
江北橋《こうほくばし》を渡るその日まで、指を屈すると実に二十有二年、一たびも曾遊....
「くだもの」より 著者:正岡子規
アップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。江南の橘《たちばな》も
江北に植えると枳殻《からたち》となるという話は古くよりあるが、これは無論の事で、....
「三国志」より 著者:吉川英治
よりは下った中腹で、そこへ登りますると、※陽湖から揚子江のながれは目の下で、江南
江北も一目に見わたされまする」 「明日、われをそこへ案内せい。自身参って、廟を掃....
「三国志」より 著者:吉川英治
節の小義にとらわれず、忠孝の大本にかえって下さい。われわれ兄弟の父母の墳は、みな
江北にあって江南にはありません。他日、朝廷の逆臣を排し、劉玄徳の君をして、真に漢....
「三国志」より 著者:吉川英治
て行った。 呉軍は、そのすべてを包有して、一躍大軍となり、また整備を増強して、
江北へ押し渡って来た。 「玄徳から賀使が見えました。家臣の孫乾という者が、贈り物....
「三国志」より 著者:吉川英治
してしまおうと思う。それについて、策あらば申し立てよ」 すると、議事の半ばに、
江北の諜報がとどいて、 「曹操四十万の大軍を催し、赤壁の仇を報ぜんと、刻々、南下....
「三国志」より 著者:吉川英治
重大な岐路である。のみならず呉はひそかに先頃から魏の繁忙をうかがって、このときに
江北の徐州を奪ってしまうべきでないかと考えていた所である。――が、曹操から内示し....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
もない。 だが、鎌倉初期において、佐々木系は二つに分れ、一は江南の六角家、一は
江北の京極家となっている。 ところで“名のり”を高氏と称する当の人物というのは....