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「江家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

江家の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ろまん灯籠」より 著者:太宰治
いれたその時の入江の家の雰囲気《ふんいき》に他ならないという一事である。いまの入江家は、少し違っている。結婚した人もある。亡《な》くなられた人さえある。四年以前....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
を何に費やしたか。恐らくは書を購うと客を養うとの二つの外に出でなかっただろう。渋江家は代々学医であったから、父祖の手沢を存じている書籍が少くなかっただろうが、現....
連環記」より 著者:幸田露伴
子の匡衡も文章博士、維時の子の斉光は東宮学士、斉光の子の為基も文章博士であり、大江家の系図を覧れば、文章博士や大学頭の鈴なりで、定基は為基の弟、匡衡とは従兄弟同....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
人を呪いもいたしました……何卒その頃の物語り丈は差控えさせて戴きます……。 大江家の一人娘が何故他家へ嫁いだか、と仰せでございますか……あなたの誘い出しのお上....
立枯れ」より 著者:豊島与志雄
それかって今後の生活の方針を立てるでもなく、凡てを運命に任せたような落付きで、中江家に家事の面倒をみながら寄食してるのであって、年令より老けて四十歳ぐらいには見....
雪の宿り」より 著者:神西清
の上を這う薄い黒煙のなかに太閤様のお顔が自然かさなって見えて参ります。あの名高い江家文庫が、仁平の昔に焼亡して、闔を開く暇もなく万巻の群書片時に灰となったと申す....
南国太平記」より 著者:直木三十五
》で、供は、その高弟の和田仁十郎だ。博士|王仁《わに》がもたらした「軍勝図」が大江家から、源家へ伝えられたが、それを秘伝しているのが、源家の末の島津家で、玄白斎....
獅子舞雑考」より 著者:中山太郎
文化とともに、我国に輸入された奈良朝まで溯ることが出来るように思われる。さらに「江家次第」によると、興福寺や法勝寺にも、獅子舞のあったことが見えているから、寺院....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。家書には、兵学の書も多かった。――かの有名な兵学者|大江匡房は家の祖である。大江家|伝襲の六韜、孫子などの兵書やら外来の蔵書が、彼の手に移っていたとしてもふし....
私本太平記」より 著者:吉川英治
うです。なぜ正成は、築城にかかる前にも、この山荘へやって来ぬか。……正成には、大江家伝世の兵学、この時親が胸中のもの、あらましは授けてあるが、さらに、かかる時に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
さんには、宮方も関東もねえんだよ。……ただの学者さ、兵学者だ。……家につたわる大江家伝来の和漢の軍書にとッ憑かれて、つい一生を書の虫みたいに送ッちまった人にすぎ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
寺へでもひとまず隠れる」 そう言って、時親はまた、 「しかし、捨て難いのは、大江家伝襲の兵学の書物だ。兵書はわしの子のようなものだからの。といって持ち歩くわけ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ことで」 と、地にぬかずいた。 正季はすぐ言った。 「甚内。――時親先生の大江家伝来の兵学書一切はおまえの手に預けられてあるそうだな」 「何の仰せか、俄かな....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
慮を要するところがあるから、しばらく後段の研究に保留しておく。また錦所経には、『江家次第』に散所衛士というのがある趣にみえているが、いまだ本書からこれを見出だす....