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江川太郎左衛門
「江川太郎左衛門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
江川太郎左衛門の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「嘘」より 著者:新美南吉
、なァんだ、太郎左衛門じゃないかと、口の中でいった。 ふいと久助君は、まえに、
江川太郎左衛門《えがわたろうざえもん》というえらい人物の伝記を、ある雑誌で読んだ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
郎なぞを小普請役から抜いて、それぞれ航海の技術を学ばせたのも彼だ。下曽根金三郎、
江川太郎左衛門には西洋の砲術を訓練させる。箕作阮甫、杉田玄端には蕃書取調所の教育....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
下曾根信守君を葬りました。六十九歳でした。下曾根さんは旧幕名家の出、伊豆|韮山の
江川太郎左衛門と相並んで高島秋帆門下の砲術の名人であった下曾根金之丞は父でした。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の中に去年生れた郁太郎《いくたろう》で、この三人が住んでいるのは、芝新銭座の代官
江川太郎左衛門の邸内のささやかな長屋です。 あれから四年後、二人の生活はこんな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
れば満足のできないほどに、能登守の砲術の愛好心は嵩《こう》じているのであります。
江川太郎左衛門が伊豆の韮山《にらやま》に立てたのは有名なる反射炉であります。江川....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
れそれ、いつぞや島田先生の道場で試合をした人」 とようやく考えついて、 「たしか
江川太郎左衛門配下というたが……妙な剣術ぶりであった」 あの時の試合、例の竜之....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
それで怖れられたのです。けれどもその秋帆とても、もう罪(?)を赦《ゆる》されて、
江川太郎左衛門を助けていろいろ熱心にその研究をつづけている時分のことであったから....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
手によって、山の奥へ隠され、再び世に出でない安楽の生涯を終ったものがあるという。
江川太郎左衛門ほどの英物が竹売りに化けて、斎藤弥九郎を引連れ、甲州へ隠密《おんみ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、一座をにがにがしく思わせているうちに、やはり高島秋帆のことが話題になって、次に
江川太郎左衛門のこと、それから砲術の門下のことにまで及んでついに、 「時に、あの....
「中里介山の『大菩薩峠』」より 著者:三田村鳶魚
この竜之助が侘住居をしているのは、どういうところかというと、「芝新銭座の代官
江川太郎左衛門の邸内の些やかな長屋」と書いてある。そうして竜之助は、江川の足軽に....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
一
江川太郎左衛門、名は英竜、号は坦庵、字は九淵世々韮山の代官であって、高島秋帆の門....
「丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
、どうもこれは、飯綱遣いであろう。でなくは切支丹ではないかと、韮山で興行の折は、
江川太郎左衛門様の手代衆が一応お調べになりまして、確かに魔法|妖術ときめて、既に....
「銀河まつり」より 著者:吉川英治
、アイヌ族か熊襲でも考えたことだろう。今日では、火術も進んでいます。高島|秋帆、
江川太郎左衛門、また同藩の佐久間先生、みな洋学に倣っておる。たとえば、吾々が戦時....