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江戸
「江戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
江戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗《こぎれい》な商店の軒を並べた、
江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧《むし》ろ寂しい本所を....
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
、少なくともこれだけの範囲で、確かに予期した成功を収め得たのである。彼は秋晴れの
江戸の町を歩きながら、風呂の中で聞いた悪評を、いちいち彼の批評眼にかけて、綿密に....
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
で愁嘆場《しゅうたんば》を出している所です。これを見ると一層あの時代が、――あの
江戸とも東京ともつかない、夜と昼とを一つにしたような時代が、ありありと眼の前に浮....
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
なかった。
寛文《かんぶん》九年の秋、一行は落ちかかる雁《かり》と共に、始めて
江戸の土を踏んだ。
江戸は諸国の老若貴賤《ろうにゃくきせん》が集まっている所だけに....
「煙管」より 著者:芥川竜之介
一
加州《かしゅう》石川|郡《ごおり》金沢城の城主、前田|斉広《なりひろ》は、参覲中《さんきんちゅう》、
江戸城の本丸《ほんまる》へ登城《とじょう》する毎に、必ず愛用の煙管《きせる》を持....
「古千屋」より 著者:芥川竜之介
十七日以来、二条《にじょう》の城にとどまっていた。それは将軍|秀忠《ひでただ》の
江戸から上洛《じょうらく》するのを待った後《のち》、大阪の城をせめるためだった。....
「野呂松人形」より 著者:芥川竜之介
聞くまでは、僕もよく知らなかった。その後、世事談《せじだん》を見ると、のろまは「
江戸|和泉太夫《いずみだゆう》、芝居に野呂松勘兵衛《のろまつかんべえ》と云うもの....
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
―いや、そう云えば、面白い話がございました。我々が吉良《きら》殿を討取って以来、
江戸中に何かと仇討《あだうち》じみた事が流行《はや》るそうでございます。」
「は....
「大川の水」より 著者:芥川竜之介
ょ》といい、業平《なりひら》という、武蔵野《むさしの》の昔は知らず、遠くは多くの
江戸|浄瑠璃《じょうるり》作者、近くは河竹|黙阿弥《もくあみ》翁《おう》が、浅草....
「少年」より 著者:芥川竜之介
の出来る二昔前《ふたむかしまえ》の回向院である。妙に鄙《ひな》びた当時の景色――
江戸と云うよりも
江戸のはずれの本所《ほんじょ》と云う当時の景色はとうの昔に消え去....
「魚河岸」より 著者:芥川竜之介
通りを、日本橋《にほんばし》の方へ歩いて行った。
露柴は生《き》っ粋《すい》の
江戸《えど》っ児《こ》だった。曾祖父《そうそふ》は蜀山《しょくさん》や文晁《ぶん....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
いる、天井からはぱっぱっと埃が出る――そんな光景を覚えているのである。 これは
江戸の昔から祖父や父の住んでいた古家を毀した時のことである。僕は数え年の四つの秋....
「田端日記」より 著者:芥川竜之介
御馳走になって、久米と謎々論をやっていたら、たちまち九時になった。帰りに矢来から
江戸川の終点へ出ると、明き地にアセチリン瓦斯をともして、催眠術の本を売っている男....
「久保田万太郎氏」より 著者:芥川竜之介
僕の知れる
江戸っ児中、文壇に縁あるものを尋ぬれば第一に後藤末雄君、第二に辻潤君、第三に久保....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
と本所に住んでいた者である。明治二、三十年代の本所は今日のような工業地ではない。
江戸二百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでいた町である。従って何処....