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「河野〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

河野の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠義」より 著者:芥川竜之介
である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本|阿波守《あわのかみ》は勿論、大目付|河野豊前守《こうのぶぜんのかみ》も立ち合って、一まず手負いを、焚火《たきび》の間....
婦系図」より 著者:泉鏡花
の字、」 とお蔦は片手を懐に、するりと辷る黒繻子の襟を引いて、 「過日頼んだ、河野さん許へ、その後廻ってくれないッて言うじゃないか、どうしたの?」 「むむ、河....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
爆弾と地球防衛」出る。 ◯過日より清水市の安達嘉一君、鴨の綿貫英助先生、福島県の河野広輝君、長野県の小栗虫太郎君来宅。昨夜は清宮博君も来宅、麻雀をす。近頃旧友の....
自叙伝」より 著者:大杉栄
西洋画のあの中村彝君がそれだ。 また、同じ寝室で、僕よりも右翼に佐藤というのと河野というのとがいた。どちらも、武揚学校という名古屋での陸軍予備校から来たもので....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
震災の後、どこにも滅多に空家のあろう筈はなく、さんざんに探し抜いた揚句の果てに、河野義博君の紹介でようよう此処に落着くことになったのは、まだしもの幸いであると云....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
訳だ。 恰も西軍にとって、一つの吉報が齎された。 即ち、周防の大内政弘、及び河野通春の援軍が到着したことであった。既に持久戦に入って来た戦線は、漸く活況を帯....
湯島の境内」より 著者:泉鏡花
お二方を第一に、御機嫌よう、お達者なよう。そして、可愛いお嬢さんが、決して決して河野なんかと御縁組なさいませんよう。 早瀬 それから。 お蔦 それから? 早瀬 ....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
で見るよりは、共同ブロへはいった方がマシであろう。 私は浅草小劇場から、座長の河野弘吉をひっぱりだして、ヤケ酒をのんだ。 「私は芸にうちこんできたつもりですが....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
こで初めて山梨県に飼育場を設けたのであった。 飼育場主任としてこの仕事に当った河野豊信氏は、農林省の畜産試験場で養鶏の研究をしていた人で、ここに初めて本格的の....
風呂を買うまで」より 著者:岡本綺堂
わたしの暗いこころを一としお寂しくさせたことを記憶している。 わたしはそれから河野義博君の世話で麻布の十番に近いところに貸家を見つけて、どうにか先ず新世帯を持....
十番雑記」より 著者:岡本綺堂
大震災の後、どこにも滅多に空家のあろうはずはなく、さんざん探し抜いた揚句の果に、河野義博君の紹介でようようここに落付くことになったのは、まだしもの幸いであるとい....
火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
分の骨を並べて、しかもその傍らには刀剣二本を安置するの余裕を示しているのである。河野清実君の報告(考古学雑誌五巻十一号)によれば、豊後灰土山古墳の如きは、幅僅か....
浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
は、いわゆる経済の二重構造はどうなったか、ほとんど解決されておりません。自民党の河野一郎君も、表面の繁栄のかげに深刻なる社会不安があると申しております。かりに池....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
を機会に、当時の代議士を中心として戦前の社会主義運動者、河上丈太郎、松本治一郎、河野密、西尾末広、水谷長三郎氏が集まり第一回の準備会を開いた。そこで戦前の一切の....
性に関するアイヌの習俗」より 著者:河野広道
り、チホッケ(褌)をはずして一物をさらけ出し、ホパラタしながら逃げていった。 (河野広道聞書、アイヌ調査資料のうち、穂別村の部より) 例2 猛熊もだじだじとなる....