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治乱
「治乱〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
治乱の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
言ったのである。 殉死を許した家臣の数が十八人になったとき、五十余年の久しい間
治乱のうちに身を処して、人情|世故《せいこ》にあくまで通じていた忠利は病苦の中に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの
治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波《....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
べし。ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。 古来わが国
治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし....
「学校の説」より 著者:福沢諭吉
にても歴代あらざるはなし。歴代あれば歴史もあるはずなり。ひろく万国の歴史を読み、
治乱興廃の事跡を明らかにし、此彼《しひ》相比較せざれば、一方に偏するの弊を生じ、....
「天狗外伝 斬られの仙太」より 著者:三好十郎
版の二、三十枚を掴んで、観客席へ向ってパッと雲のように投げる)それつらつら今古の
治乱を考うに、だ、治まる時は乱に入り、乱極まれば治に入るとかや、一乱一静は寒暑の....
「斬られの仙太」より 著者:三好十郎
版の二、三十枚を掴んで、観客席へ向ってパッと雲のように投げる)それつらつら古今の
治乱を考うに、だ、治まる時は乱に入り、乱極まれば治に入るとかや、一乱一静は寒暑の....
「加波山」より 著者:服部之総
で(万延元年―文久二年)二本松《にほんまつ》の商家に見習にやられ、逃げ帰って志を
治乱に立て、水戸|天狗《てんぐ》党(元治元年十六歳)に際しては「同志」とともに応....
「三国志」より 著者:吉川英治
したものを感じる場合がしばしばある。 だから、現代の中国大陸には、三国志時代の
治乱興亡がそのままあるし、作中の人物も、文化や姿こそ変っているが、なお、今日にも....
「三国志」より 著者:吉川英治
かの老僧のいったことが、今思いあたる。……ウウム、あなたは景帝の裔孫だったのか。
治乱興亡の長い星霜のあいだに、名門名族は泡沫のように消えてゆくが、血は一滴でも残....
「三国志」より 著者:吉川英治
序あるごとくまた、まったく無秩序な自由の野民の如く――実に古い歴史のながれの中に
治乱興亡の人間生態図を描いてきているのであるが、そういう長い経験の下に、自然、根....
「三国志」より 著者:吉川英治
靖王の裔は、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の
治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、土民に流落して、劉玄徳の両親の代には、とう....
「三国志」より 著者:吉川英治
いった。 すると、崔州平は、大いに笑って、 「善いことですな。けれど、あなたは
治乱の道理を知らないとみえる」 「或いは――然らん。ねがわくは
治乱の道を、説いて....
「三国志」より 著者:吉川英治
きほど、その罪は深大ではないか。見ずやなおわが君家劉予州を。大漢四百年、その間の
治乱には、必然、多くの門葉ご支族も、僻地に流寓し、あえなく農田に血液をかくし給う....
「三国志」より 著者:吉川英治
三国|鼎立の大勢は、ときの
治乱が起した大陸分権の自然な風雲作用でもあったが、その創意はもともと諸葛孔明とい....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
らが、甦生の土壌で選んだ子孫までの生活の姿は、戦争放棄であった。 鎌倉期以降の
治乱興亡の中の人々は、権力への執着がつよく、生き代り死に代り、敗者となり、勝者と....