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「治部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

治部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虚構の春」より 著者:太宰治
材料あげるから、政治小説かいてみないか。君には、まだ無理かな? 東京日日新聞社政治部、小泉邦録。」 「謹啓。一面識ナキ小生ヨリノ失礼ナル手紙御読了|被下度《くだ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
山吉孫次郎 加地彦次郎 左備 本庄越前守 安田治部少輔 長尾遠江守 後備 中条越前守 古志駿河守....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
、それと向かい合って坐っていた。横田十郎兵衛、原与左衛門、市川梅印、城伊闇、多田治部右衛門、遠山右馬介、今井九兵衛、江間右馬丞、関甚五兵衛、小幡又兵衛、大熊備前....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
ったり、こねたりする柄か! と云いたげな微笑を含めた。 「北伐軍にゃ、まだ/\政治部を出た共産党が、だいぶまじっとるんだよ。」内川は、にが/\しげに囁いた。「こ....
縮図」より 著者:徳田秋声
どで衝突して、即日辞表を叩きつけてからは、官吏がふつふついやになり、一時新聞の政治部に入ってみたこともあったが、それも客気の多い彼には、人事の交渉が煩わしく、じ....
巌流島」より 著者:直木三十五
と惜しんだのも尤《もっと》もである。 後に五郎左衛門勢源の跡を継いだその弟富田治部右衛門を美事に打込むと共に、勢源は「岩流」を樹つる事を許した。「岩流」又は「....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
と控えていることしばし、これも武装をした一人の使者が眼前に現われました。 「石田治部少輔の家来、柏原彦右衛門にござりまする」 使者の者がこう言って頭を下げる。....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れたこの町を、その時から長浜と改めたのだ」 「ははあ、そうだったかなあ」 「石田治部少輔三成も、ここではじめて太閤に知られたのが出世の振出しだ」 「そうかなあ、....
失われた半身」より 著者:豊島与志雄
だが、おれがちょっと変な気がしたのは、ヒロイズムという言葉だ。それは左右両極の政治部面にだけ残存してるものだと思っていたのであるが、焼酎に酔っ払うことのうちにも....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
と云ったって人間だ、油断もあれば隙もあるとな。……それから俺は念のために、石田|治部めの屋敷へ忍んだ。するとどうだろう増田|長盛めが、ちゃんと遣って来ているでは....
郷介法師」より 著者:国枝史郎
の顔をさえ知らぬ」 彼の心はこれを思うといよいよ寂しくなるのであった。 「最所治部めが叛いたそうな。毛利|元就へ款を通じ俺に鋒先を向けるそうな」 備前国矢津....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
したわい。さあ忙しいぞ忙しいぞ!」徳善院は退出した。 × 石田治部少輔、益田右衛門尉、この二人が奉行となった。 「さる程に両人承て人々をえらび....
赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
敷き、京都へ攻めのぼるべき気勢を示した。 と、その時二度目の討手として、宇都宮治部大輔公綱が、向い来るという取沙汰が聞えて来た。 * 七月××....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
入れ代りに萬朝報社へ転じて、後には劇評家などはすっかり廃業してしまって、同社の政治部記者として有力の地位を占めるようになったが、中央新聞社にあるころは蜃気楼主人....
水面に浮んだ女」より 著者:田中貢太郎
お留守を守っております、これと云うのも中納言様が、貴方のお詞をお用いにならずに、治部殿の味方をなされたからでございます」 平兵衛は浮田秀秋の家臣であったが、そ....