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泉地
「泉地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
泉地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「断崖の錯覚」より 著者:黒木舜平
私が二十歳になったとしの正月、東京から汽車で三時間ほどして行ける或る海岸の温
泉地へ遊びに出かけた。私の家は、日本橋呉服問屋であって、いまとちがって、その頃は....
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
の中では、何より烈しい渇きが、貴方がたを苦しめていたのでした。それに、あの辺は温
泉地帯なので、その地熱の猛烈なことと云ったら、一方凍死を助けてくれたとは云い条、....
「蠅男」より 著者:海野十三
ねば、再び東京へかえらないと心に誓った青年探偵帆村荘六は、身はいま歓楽境宝塚新温
泉地にあることさえ全く忘れ、全身の神経を両眼にあつめて疎林の木立の間から、池谷控....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
一に彼等の敏捷な山地の戦闘力に依ったのである。従って正成の歿後も、河内、摂津、和
泉地方の楠党は山地にかくれ頑強に足利氏に抵抗して居たのである。だからそうした分散....
「観画談」より 著者:幸田露伴
ばとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温
泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに....
「温泉」より 著者:梶井基次郎
ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温
泉地なのだった。 温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
う返事であった。 しかし先生の診察を乞う者は伊東市民に限らない。ここは名高い温
泉地だから、日本中から観光客があつまる。それらの人々も診察をもとめてくるが、しら....
「桐生通信」より 著者:坂口安吾
、窓から吹きこむ山の冷気にもましてそう快でもあった。 こういう海からはなれた温
泉地や私の住む桐生などでも今年の特色はマグロのややマシなのがフンダンにあることだ....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
は気の毒であるが、生活圏外の人間から盗みをするのは気の毒ではないような感情が、温
泉地に住んでいると、生れてくるようである。 これは温泉客の性格であると同時に、....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
力にとんだものだから、血気の消防員が遠路をいとわず馳けつけるのもうなずけるが、温
泉地の火事は後のフルマイ酒モテナシがよろしいから、近隣の消防は二ツ返事で救援に赴....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
アンマの名人にもんでもらうのが一番よいのである。しかしそのようなアンマの名人は温
泉地と花柳地に片寄って集まってしまい、ほかの土地ではなかなかうまいアンマが見当ら....
「山の湯の旅」より 著者:上村松園
○ 信州に発甫という珍らしい地名の温
泉地があります。絵を描く人々や、文士などの間には相当知られているようですが、一般....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
天に昇りたいものでございますね。(久保謙氏宛 五月二十五日。別府より) 温
泉地になじまず、去る お手紙うれしく読みました。私は都合により倉橋島へは行かず....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
の警句そのままの具象化であった。 私が緑雨を知ったのは明治二十三年の夏、或る温
泉地に遊んでいた時、突然緑雨から手紙を請取ったのが初めてであった。尤もその頃|専....
「ひとりすまう」より 著者:織田作之助
夜更けの海岸だった。その頃京都高等学校の生徒であったぼくは肺患の療養のためその温
泉地に滞在していた。恐らく病気のためだったろうが、その頃は毎夜の様に不眠に苦しめ....