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法隆寺
「法隆寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
法隆寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
いけれども地震には強いということがわかった。そしてわが国の気候によく適していた。
法隆寺の金堂や薬師寺の塔は木造建築の耐久性を示す注目すべき実例である。これらの建....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
撃せんとしたが、高虎到らざるため、暗峠を越えて郡山に火を放ち、筒井定昌を走らせ、
法隆寺村、竜田村に火を放ち、国府越より河内に引き去った。これが夏の陣の第一出動で....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
立てられて行く。ここに軍艦がある。まず、昔|天平仏が天平時代の必要から製造され、
法隆寺が完全な姿において現出した理由と同じ理由から、現代のわれわれの生活からは軍....
「夢殿」より 著者:楠山正雄
えがずんずんひろまるようになりました。摂津の大阪にある四天王寺、大和の奈良に近い
法隆寺などは、みな太子のお建てになった古い古いお寺でございます。 三 ....
「わが妻の記」より 著者:伊丹万作
みえて、十年ほど、どこへ行くにもこれ一本で押し通したため、しまいには絵具が剥げて
法隆寺の壁画のようになつてきた。それで五、六年前に新しく描き直してやつた。だから....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いが、岩波本は相慶之という坊さんが写した本だね。二条、六条天皇のころ、平安末期の
法隆寺の大法師だそうだね。 この本に、ごく稀に、二字三字ずつ欠字があるのは、な....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
、こういう庶民が代表する日本というものは、まだまだこれから生長する民族であろう。
法隆寺だの古い伝統などと云ってるのは日本人中の別種族で、日本庶民はまさに十二歳く....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
築上げ、既に官位十二階、憲法十七条を定め、朝礼を改正し、暦日を採用し、四天王寺、
法隆寺等の世界的優秀の寺院をも建立し、儒教の思想を咀嚼し仏教の教理を摂取し、しか....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂
法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法....
「古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
も御承知の通り今もっともやかましくいわれておりますようなものには、一般に御承知の
法隆寺の壁画でありますとか、あるいは推古仏とかいうようなものでありますとか、尊い....
「河豚は毒魚か」より 著者:北大路魯山人
にさらに進むべきだ。然らば白鳳か天平か推古か。それそれ、すなわち推古だ。推古仏。
法隆寺の壁画。それでよい。ふぐの味を絵画彫刻でいうならば、まさにその辺だ。 し....
「良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
宮邦彦王殿下に対し奉り、ある時のこと、御用係某は、殿下御染筆の数々のうち取り分け
法隆寺に御下賜のものの御出来栄えが、一段に御見事に拝される旨を言上した。すると、....
「舞子より須磨へ」より 著者:小川未明
影が闇の中に隠れた。電燈は、膳の上の、鮮しい魚の肉を盛った皿に青く輝いた。奈良、
法隆寺と海の遠い処の、宿屋に泊って、半分腐れかゝった魚を食べさせられた自分は、舞....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
実化に向って力を尽されました。別して造塔、起仏に御熱心にて、自ら七寺(四天王寺、
法隆寺、中宮寺、橘寺、蜂丘寺、池後寺、葛城寺)を建立せられた外、諸国にも寺院の配....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
と、陵戸との三種となる。しかもその家人とは、奴婢の上級なるもので、天平十九年の「
法隆寺資財帳」に、家人何口奴婢何口と区別して列挙し、しかもそれを総称しては奴婢何....