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「波多野〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

波多野の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道草」より 著者:夏目漱石
る不快な意味において思い浮べなければならなかった。 「御常さんて人はその時にあの波多野《はたの》とかいう宅《うち》へまた御嫁に行ったんでしょうか」 細君は何年....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
十四、五間ばかり退却した。元春自身槍をとって、奮戦していると、弘中軍の武将|青景波多野等、滝町の横町、柳小路から吉川勢を横撃した。 此の時吉川勢殆んど危かった....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
重用しながら背かれている。松永久秀などもそうである。 光秀反逆の原因は、丹波の波多野兄弟を、光秀が、命は請け合ったと云って降服帰順させたのを、信長が殺してしま....
読書法」より 著者:戸坂潤
である。現在の日本では日本語で書かれた西洋哲学史で纏ったものは非常に少ないのに(波多野博士のもの、桑木博士のもの、以外には著しいものがない)、之は一応纏った体系....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
同情心からに過ぎなかった。三木が最も私淑しているのは今は知らぬがしばらく前までは波多野精一博士である。博士のプロテスタント的歴史哲学と歴史観とが、三木の歴史主義....
大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
におんいたわしいかぎりです。 第一の飛行機が日光へ向った同じ午前に、一方では、波多野中尉が一名の兵卒をつれて、同じく冒険的に生命をとして大阪に飛行し、はじめて....
塩花」より 著者:豊島与志雄
ことが二人の口にのぼせられたのを知った。理由はすぐ腑に落ちた。彼が時々出入りする波多野邸に、彼女は寄寓していたし、彼は面識があったのである。だが、ちと不思議なこ....
波多野」より 著者:豊島与志雄
波多野洋介が大陸から帰って来たのは、終戦後、年を越して、四月の初めだった。戦時中....
非情の愛」より 著者:豊島与志雄
同感したのだった。 ところで、私の注意を惹いたことが一つある。 私は秦啓源と波多野洋介とを交際させたかった。それで、秦に向っては、波多野のことをいろいろ話し....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
柴田|勝家は思量に乏しい。世は容易に治まるまい……武田家は間もなく亡びるだろう。波多野秀治は滅亡した。尼子勝久は自刃した。上杉|景勝は兄を追った。荒木|村重は謀....
小説集「秦の憂愁」後記」より 著者:豊島与志雄
は実にさまざまな精神動向が見られた。その精神動向の代表的なものの一つとして、私は波多野洋介を捉えた。その思想や人柄に、或は逆に私の方が捉えられたのかも知れない。....
暗夜の格闘」より 著者:小酒井不木
が、俊夫君は快活にはしゃぎました。 食事がちょうど終わった時、小田刑事の部下の波多野さんが角袖でふうふう言って入ってこられましたが、私たちの姿を見てちょっと躊....
今昔茶話」より 著者:国枝史郎
保布や、釈瓢斉などであり、社会部長は長谷川如是閑先生であった。通信部には支那通の波多野乾一がいた。 そうして風見さんは、社会部で無くて、外報部の副部長格であっ....
美食七十年の体験」より 著者:北大路魯山人
美味談も考えてみるとなかなか容易ではない。前に木下の『美味求真』、大谷|光瑞の『食』、村井|弦斎の『食道楽』、波多野承五郎の『食味の真髄を探る』、大河内正敏の『味覚』など、それぞれ一家の言を....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
藤君が組織局長として協力してくれている。片山前委員長、鈴木前書記長、和田、三宅、波多野君にしても水谷君にしても、今度の選挙では、ほんとうに一本になって協力してく....