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洋画
「洋画〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
洋画の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「春」より 著者:芥川竜之介
いの出来たことを感ずるのだった。
篤介は広子にも顔馴染《かおなじ》みのあるある
洋画研究所の生徒だった。処女《しょじょ》時代の彼女は妹と一しょに、この画の具だら....
「路上」より 著者:芥川竜之介
いるような心もちがした。それが彼には心強い気を起させた。
「画と云うと――やはり
洋画を御やりになるのですか。」
相手の声に勇気を得た俊助は、まだ初子と野村とが....
「魚河岸」より 著者:芥川竜之介
、魚河岸《うおがし》の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴《ろさい》、
洋画家の風中《ふうちゅう》、蒔画師《まきえし》の如丹《じょたん》、――三人とも本....
「夢」より 著者:芥川竜之介
も友だちはない訣《わけ》ではなかった。それはある年の若い金持ちの息子《むすこ》の
洋画家だった。彼はわたしの元気のないのを見、旅行に出ることを勧《すす》めたりした....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
画を学んでいた。しかし僕のなりたかったのはナポレオンの肖像だのライオンだのを描く
洋画家だった。 僕が当時買い集めた西洋名画の写真版はいまだに何枚か残っている。....
「吉原新話」より 著者:泉鏡花
て言う。 「私もはじめてです。両側はそれでも画に描いたようですな。」と岩木という
洋画家が応じた。 「御同然で、私はそれでも、首尾よく間違えずに来たですよ。北廓だ....
「画学校時代」より 著者:上村松園
かい四条派で、主任の先生は望月玉泉さん。 西宗というのは、新しくぼっこうした西
洋画つまり油絵で、主任が田村宗立先生。 南宗は文人画で主任が巨勢小石先生。 ....
「灯明之巻」より 著者:泉鏡花
ものまで、白く咲いて楚々とした花には騒ぐ。 巨匠にして、超人と称えらるる、ある
洋画家が、わが、名によって、お誓をひき寄せ、銑吉を傍にして、 「お誓さんに是非と....
「小杉未醒氏」より 著者:芥川竜之介
竹のように、本来の氏の面目から、まっすぐに育って来たものである。 小杉氏の画は
洋画も南画も、同じように物柔かである。が、決して軽快ではない。何時も妙に寂しそう....
「好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
うとかかった時、武子さんにモデルになって貰ったことがあります。といって私は、何も
洋画の人のやるように、あらゆる部分をそっくりそのまま写し取ったわけではありません....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
今でこそ
洋画にしろ日本画にしろ、モデルというものが大きな問題となっているが、今から四、五....
「山吹」より 著者:泉鏡花
所 修善寺温泉の裏路。 同、下田街道へ捷径の山中。 人 島津正(四十五六)
洋画家。 縫子(二十五)小糸川子爵夫人、もと料理屋「ゆかり」の娘。 辺栗藤次(六....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
を看板として西洋|覗眼鏡という名で人気を煽った。何しろ明治二、三年頃、江漢系統の
洋画家ですら西洋の新聞画をだも碌々見たものが少なかった時代だから、忽ち東京中の大....
「大切な雰囲気」より 著者:石井柏亭
の尻は走ったままの電車であり、幕の閉まりそこねた芝居でもある」と云い、日本の近代
洋画を談じては「どうやら手数を省いて急激に人の眼と神経をなぐりつけようとする傾向....
「想い出」より 著者:上村松園
織は東西南北の四宗に別れていまして、東宗は柔らかい四条派で望月玉泉先生、西宗は西
洋画で田村宗立先生、南宗は巨勢小石先生、北宗は力のある四条派で鈴木松年先生がそれ....