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「洋算〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

洋算の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
めてある。そこに書かれてあることの多くはまだ不消化な新知識であった。なお、和算と洋算とを学校に併せ用いたいとの彼の意見にひきかえ、筑摩県の当局者は洋算一点張りの....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
は熕隊司令官にせられた。兵士中|身を立てんと欲するものは、多くこの山澄を師として洋算を学んだ。専六もまた藤田|潜、柏原櫟蔵らと共に山澄の門に入って、洋算簿記を学....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
でも帰って来なかったりした。校長さんたちの分は、大皿のお刺身などがとってあった。洋算などは、大概なところで秋山先生が一人に答えをいわせ、 「出来たか。」 という....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
の様子でもすぐ解った。学校にあるような、赤や、白の玉を連ねて算術を教える大きな西洋算盤がちゃんと部屋に置いてあった。私と芳正君とに色々題を出して質問したり、字を....
和算の社会的・芸術的特性について」より 著者:三上義夫
〈一 和算とは〉 日本の数学を普通に和算という。和算とは洋算に対しての名称であり、主として維新後に呼びなされた。けれどもこの名称の行われ....
数学史の研究に就きて」より 著者:三上義夫
れないこととなった。遠藤翁は勢州桑名の江戸詰藩士であって、和算家の出身であるが、洋算に対して和算の萎微振るわざるを慨し、明治十一年の頃から奮って和算史の研究に従....
文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
知れておらぬ。度学という書物は残っているものがあるが、もとより初歩のものである。洋算の算術書の刊行されたのは柳河|春三《しゅんさん》及び福田理軒などの書物が初め....