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洞院
「洞院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
洞院の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
あの方が阿父様《おとうさま》の代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条|西
洞院《にしのとういん》の御屋形《おやかた》のまわりには、そう云う色好みの方々が、....
「道祖問答」より 著者:芥川竜之介
声に応じて、その影からぼやけた返事が伝って来た。
「おゆるされ。これは、五条西の
洞院《とういん》のほとりに住む翁《おきな》でござる。」
阿闍梨《あざり》は、身....
「三浦右衛門の最後」より 著者:菊池寛
ると思ったのである。実際彼は一人の無邪気な少年に過ぎない。彼は十三の時に、京の西
洞院《にしのとういん》に侘住居《わびずまい》をしていた両親の手から今川家へ児小姓....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
車女 おお源次さま。ちょうどよいところじゃ、それそれこの間ちょっとお耳に入れた東
洞院《とうのとういん》の近江屋のお嬢様でござりまする。 源次 (四郎五郎に、気兼....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
告して居る。小康を得て居た当時の京都の人心は為に恟々として畏怖動揺したとみえる。
洞院|公賢は其の日記に此の仔細を記して居るが、京都の諸寺一時に祈祷の声満つると云....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
慈円、良寛、退場。左衛門、お兼、松若、涙ぐみつつ見送る。 ――幕―― 場所 西の
洞院御坊。 本堂の裏手にあたる僧の控え間。高殿になっていて京の町を望む。すぐ下に....
「画学校時代」より 著者:上村松園
とよい。参考を貸したり絵も見てあげるから」 私は悦び勇んで、学校が退けると、東
洞院錦小路の松年先生の塾へ寄り、そこで心ゆくまで人物画を描いたり見て貰ったりしま....
「蛍」より 著者:織田作之助
ゆえ、開けてみてはならんぞ。脅すような口を利いて帰って行った。五十吉といい今は西
洞院の紙問屋の番頭だが、もとは灰吹きの五十吉と異名をとったごろつきでありながら、....
「雪の宿り」より 著者:神西清
遍、雲文寺をはじめ、浄菩提寺、仏心寺、窪の寺、水落の寺、安居院の花の坊、あるいは
洞院殿、冷泉中納言、猪熊殿など、夥しいことでございましたが、民の迷惑も一方ならず....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
え、グーッと引いて満を持した。 「その楠氏の姫君が、何故このような古館に?」 「
洞院左衛門督信隆卿、妾の境遇をお憐れみ下され、長年の間この館に、かくまいお育て下....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
、そういう約束があったがために、車屋町の隠れ家を出て、烏丸、室町、新町、釜座、西
洞院の町々を通って、千本お屋敷とご用地との間の、露路まで急いで歩いて来たところが....
「京のその頃」より 著者:上村松園
く物心ついた頃のあの辺を思い出すと、ほとんど見当もつかない程の変りようだ。 東
洞院と高倉との間、今取引所のあるところ、あすこは薩摩屋敷と言ったが、御維新の鉄砲....
「頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
鎌倉に下着した。御台御迎えの一行が上洛した時、一行の宿泊所と定められている六角東
洞院の京都の守護|武蔵前司源朝雅の第へ着いたが、朝雅は一行をねぎらうために酒を出....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
ったのである。)これ六条村の名ある所以である。その以前寛文頃迄は、今の松原通り東
洞院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は因幡薬師の東で、或いは東寺....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
かせぎを続けたが、どうも下宿屋は思わしくない。大きな家も持てあましてきたので、西
洞院七条下ル堀川の小さな家へ移った。ここで細々とまぐさ屋を続けたが世帯は苦しく、....