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「津守〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

津守の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
ますのも、煩わしいくらいでございますが、中でも一番名高かったのは、前《さき》の摂津守《せっつのかみ》の悩んでいた人面瘡《にんめんそう》ででもございましょうか。こ....
金将軍」より 著者:芥川竜之介
ら朝鮮の国を探《さぐ》りに来た加藤肥後守清正《かとうひごのかみきよまさ》と小西摂津守行長《こにしせっつのかみゆきなが》とである。 二人はあたりを眺めながら、青....
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
九年五月のことで、忠直卿は三十の年を越したばかりであった。後に豊後府内から同国|津守《つのかみ》に移されて、台所料として幕府から一万石を給され、晩年をこともなく....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
たてられたお成り道へ、 「堀《ほり》丹羽守《たんばのかみ》様ア――」 「太田|摂津守《せっつのかみ》様ア――」 「石川|備中守《びっちゅうのかみ》様ア――」 ....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
したが、勝頼落延びたりと見届けると、岡の上に馬を乗り上げ、「六孫王|経基の嫡孫摂津守頼光より四代の孫源三位頼政の後裔馬場美濃守信房」と名乗った。塙九郎左衛門直政....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
元年正月、太閤秀吉は海陸の諸隊に命じて出発の期日並びに順序を定めた。一番は小西摂津守行長、松浦法印鎮信以下一万三千、二番加藤|主計頭清正以下二万二千、三番黒田甲....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ンダ政府から購い入れたというその小さな軍艦は品川沖から出帆して来た。艦長木村|摂津守、指揮官|勝麟太郎をはじめ、運用方、測量方から火夫水夫まで、一切西洋人の手を....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
い話が伝えられている。その話の一ツは最初に秀吉が細川越中守|忠興《ただおき》を会津守護にしようとしたところが、越中守忠興が固く辞退した、そこで飯鉢《おはち》は氏....
連環記」より 著者:幸田露伴
かも知らぬが、定基の兄の為基、これは系図には、歌人とあり、文章博士、正五位下、摂津守とある。此人と右衛門との間には、何様もなみならぬ心のゆきかいが有ったかと見ゆ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
は、安政六年に、幕府の咸臨丸《かんりんまる》が、僅か百馬力の船で、軍艦奉行木村摂津守を頭に、勝麟太郎《かつりんたろう》を指揮として、日本開けて以来はじめての外国....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
してもわし達兄弟は、何という変わった兄弟であろう。徳川によって滅ぼされた、小西摂津守の遺臣として、徳川家に怨みを抱いていることは、わしも兄上も同じなのではあるが....
死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
れて三月の間は玩具の如く扱われて了ったのだ。 講武所に学びては、主として今堀摂津守の指南を受けていたが、其他に、麻布古川端に浪居して天心独名流から更に一派を開....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
の高序を賜わりたるは、実に予の望外なり。 木村芥舟先生は旧幕府旗下の士にして摂津守と称し時の軍艦奉行たり。すなわち我|開国の後、徳川政府にて新に編製したる海軍....
福沢諭吉」より 著者:高山毅
いってください。」 と、諭吉はつてをもとめて、はじめてあった幕府の軍艦奉行木村摂津守喜毅に、しんけんにたのみこんでいました。それは、安政六(一八五九)年の冬のあ....
それから」より 著者:夏目漱石
三千代に逢って己れを語って置く必要が出来る。然し夜だから都合がよくないと思った。津守《つのかみ》を下りた時、日は暮れ掛かった。士官学校の前を真直に濠端《ほりばた....