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津田青楓
「津田青楓〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
津田青楓の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
画家のK氏が東京から来て麻川氏の部屋のメンバーになった。噂によれば夏目漱石先生が
津田青楓氏を師友として居た以上K氏と麻川氏は親愛して居るのだそうだ。K氏は、頭を....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
ある。 下渋谷の家は脩の子終吉さんを当主としている。終吉は図案家で、大正三年に
津田青楓さんの門人になった。大正五年に二十八歳である。終吉には二人の弟がある。前....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
て見ようという気になって、ここに筆を続ける。 大正十二年九月、関東大震災の後、
津田青楓氏は、三人のお子さんを東京に残し、一人の若い女を連れて、京都に移られた。....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
来たったことも目立つところのことである。 それから今年は有島生馬氏の滞欧作品と
津田青楓氏の特別出品があり、その他川口軌外、福沢一郎両氏等の近代フランスの尖端的....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
文化人」ではない。――自然科学関係では寺田寅彦の随筆が、今や一世を風靡している。
津田青楓氏は「日本画」に多忙である。等々。 (一九三六) 21 現代日本のヒュ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
代。
私は早く完成の形をとる人間ではないから、えっちらおっちらね。
この間、
津田青楓の六十一歳の還暦祝があってよばれて行って、洋画の大家たちというもとを近く....
「昭和二年の二科会と美術院」より 著者:寺田寅彦
させて行くとつまりは何もかいてないカンバスの面がいちばんいい事になりはしないか。
津田青楓。 「黒きマント」は脚から足のぐあいが少し変である。そのために一種サディ....
「日記」より 著者:宮本百合子
く創作のため。其処に絵、音楽、愛する芸術家の像を置こう。すきな丈心を飛ばせよう。
津田青楓氏が画室の欲しいわけを覚り、あげるお金のないのを残念に思う。 朝早く仕....
「智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び、当時の新興画家であった中村彝、斎藤与里治、
津田青楓の諸氏に出入して其の影響をうけ、又一方、其頃平塚雷鳥女史等の提起した女子....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
の総ては作家に進呈した。)中でも評判のよかったのは岸田劉生、柳敬助、正宗得三郎、
津田青楓諸氏の個展であった。 ヒウザン会は、丁度その頃、新進気鋭の士の集合であ....
「南画を描く話」より 著者:中谷宇吉郎
昨年のことであるが、その頃まだ伊東《いとう》で病後の静養をしていた私のところへ、
津田青楓《つだせいふう》さんから、或る日小さい小包が届いたことがあった。あけて見....