津軽海峡[語句情報] » 津軽海峡

「津軽海峡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

津軽海峡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
小さき者へ」より 著者:有島武郎
の顔は、暗い停車場のプラットフォームから私たちに名残《なご》りを惜しんだ。陰鬱な津軽海峡の海の色も後ろになった。東京まで付いて来てくれた一人の学生は、お前たちの....
佐渡」より 著者:太宰治
れの友人に、その事を言ったら、その友人は私の直観に敬服し、そのとおりだ、北海道は津軽海峡に依《よ》って、内地と地質的に分離されているのであって、むしろアジア大陸....
鰊漁場」より 著者:島木健作
のいろにも緑の明るい色がさして来た。――北海道の西海岸は対馬海流の流域にあたる。津軽海峡の西方の沖合を走り、積丹半島をすぎ宗谷海峡にはいる対馬海流は、三月四月の....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
「次に、アラスカ飛行聯隊は、午後十時、北海道、根室湾を、占領した。聯隊は、更に、津軽海峡を征服し、青森県|大湊要港を占拠せんものと、機会を窺っている模様である」....
蟹工船」より 著者:小林多喜二
。――「失敗った!」 彼等は少しでも金を作って、故里の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。――蟹工船にはそういう、自....
田舎教師」より 著者:田山花袋
記されてある。十二日は朝から曇った寒い日であったが、予想のごとく、敵の浦塩艦隊が津軽海峡に襲来して、商船|奈古浦丸を轟沈したという知らせが来た。その津軽海峡の艫....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
る。 野糞放る外が浜辺や※瑰花 大沼 (一)津軽海峡を四時間に駛せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美し....
日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
来したと伝えられている。北海道のひぐまも虎と同様で、東北日本の陸地の生まれたとき津軽海峡はおそらく陸でつながっていたのではないかと思われるが、それがその後の地変....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
は若草の萌えた野道から来るともいい、また都大路の女の着物の色から来るともいうが、津軽海峡をへだてた北海道の平野に、久しく農人の生活を送って来た人の話によると、あ....
札幌まで」より 著者:寺田寅彦
続いていたのか、それとも氷がつながっていたのか誰に聞いてみても分らない。とにかく津軽海峡は渡れなかったものと見える。熊が函館まで南下して来て対岸の山々を眺めて、....
火の扉」より 著者:岸田国士
んで座にもどつた時、彼女は、北原ミユキをこのうえ悲しませてはならぬと心に誓つた。津軽海峡の連絡船はもう三日欠航をつゞけていた。 青森駅からさんなものに思われた....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
々ウラジオストックの機雷の漂流に悩んでいたのであった。ウラジオのものらしい機雷が津軽海峡にまで漂流し、本土と北海道を結ぶレンラク船の航海にまで危険が起ったのは今....
不在地主」より 著者:小林多喜二
を拵えたら、内地へもどって、安楽に暮らそう、まア、二三年もいて――皆そう思って、津軽海峡を渡ってきた。だが、もう十年も経っている。今更のように自分の身のまわりを....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
月の九日午後二時――三時、処は横浜を北へ去る少くとも五百|海浬の海上、今やまさに津軽海峡の中間を進行しつつある観光船高麗丸の後甲板。 演者は誰ともわからぬ。 ....
言語と文化史」より 著者:知里真志保
下して、ユーラップ、オシャマンベの辺で二つに分かれ、一つの分派は函館の方へ行って津軽海峡を渡り、東北地方を占拠し、また他の分派はオシャマンベから噴火湾に沿うて南....