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流寓
「流寓〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
流寓の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
元来奈良の東大寺、興福寺等の大寺では、自ら僧兵を置いて自衛手段を講じて居たので、
流寓の公卿を養う事が出来た。併し後には、余りに其の寄寓が多いので費用がかさみ、盛....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
記そう。ハクストハウセン(上に引いた書)がペルシアの俗談と書いたは、支那の伏羲|
流寓《さすらえ》て、ある富んだ婦人に宿を求めると、卑蔑《さげすん》で断わられた。....
「読書の今昔」より 著者:寺田寅彦
牝鶏が、その養い子のひよっこの「水におぼれんことを恐れて」鳴き立てる話と、他郷に
流寓して故郷に帰って見ると家がすっかり焼けて灰ばかりになっていた話ぐらいなもので....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ことになったが、早くより肺病に罹っていたので、後には細君の実家近くの京都辺りへも
流寓して、終に病死した。そうして、あべこべに舅の家から多少の救助を受けた位のこと....
「随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
私自身とて、下町から山の手へ、上方へ、小田原へ、また東京へと、いかばかり幾変転の
流寓の来し方ではあったことよ。初めて吉井先生の片瀬のお住居を叩いてのことにしてか....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
ざるものに「亡土」とはよく宛てたものである。これら間人百姓の中には、勿論他郷より
流寓した所謂|来り人の徒であって、他人の田地を小作していたものも交っている事であ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
を持ってみたいという気持はして来ますが――持ったところで、家もなし、席も定まらぬ
流寓の武者修行」
「なるほど、旅ばかりしているお体では、かえってお邪魔ですな。お....
「三国志」より 著者:吉川英治
かります。自分は河東解良(山西省・解県)の産で、関羽字は雲長と申し、長らく江湖を
流寓のすえ、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となって草裡にむなしく月日を送....
「三国志」より 著者:吉川英治
良人のかたわらに戻った。 呂布はまた、機嫌に乗じてこういった。 「不幸、山東を
流寓して、それがし逆境の身に、世間の軽薄さを、こんどはよく味わったが、昨日今日は....
「三国志」より 著者:吉川英治
ばは無茶である。 「そうではないか! 汝は元来、寄る辺なく、この徐州へ頼ってきた
流寓の客にすぎぬ。劉兄のお蔭で、いつのまにか徐州城に居直ってしまい、太守面をして....
「三国志」より 著者:吉川英治
。 「滞府中には、あなたから充分な、お賄いをいただいておるし、この後といえども、
流寓落魄貧しきには馴れています。どうかそれは諸軍の兵にわけてやってください」 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
わが君家劉予州を。大漢四百年、その間の治乱には、必然、多くの門葉ご支族も、僻地に
流寓し、あえなく農田に血液をかくし給うこと、何の歴史の恥であろう。時来って草莽の....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
様に武者修行の名をもって、戦国期から江戸初期にかけては、諸国の都会をまた山村を、
流寓して歩いている武士がずいぶんとあったものに思われる。 明智光秀は、信長に仕....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
の民の如きは、原則としてみな非人であるのだ。刑期満ちて本貫に帰らず、引続き京畿に
流寓していたものが、非人として扱われたのはやむをえなかった。 本貫に帰らなかっ....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
穏に郷里で生活しうるほどのものが、そんな時代にわざわざ郷里を離れて、知らぬ他郷に
流寓するはずもないのですから、来り人とあってはどうで碌なものでないと思われても、....