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流罪
「流罪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
流罪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
万一わたくしの勝ちとなりましたら、相手の播磨守どのはどうなりましょう」 「むろん
流罪《るざい》じゃ。陰陽《おんよう》の家《いえ》へ生まれてこの祈りを仕損じたら、....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
車が万世橋の交叉点を素直ぐに貫いても、鷲は翼を納めぬので、さてはこのまま隅田川へ
流罪ものか、軽くて本所から東京の外へ追放になろうも知れぬ。 と観念の眼を閉じて....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
いた関係上、舅の家がほろびると間もなく、彼もその所領を召し上げられて、伯耆の国に
流罪を申付けられ、房州の名家もその跡を絶ったのである。里見の家が連綿としていたら....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
円 いつもお駕籠でしたよ。おおぜいのお弟子がお供に付きましてね。お上の御勘気で御
流罪にならせられてからこのかたの御辛苦というものは、とても言葉には尽くせぬほどで....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
かけません。万一わたしが帰って来なければ、お前さんは囚人を取り逃がしたというので
流罪になるかも知れませんが、これまで私のあげた物で不自由なしに暮らして行かれる筈....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
鋭となっていたので、ついにこの不穏の言動をもって、人心を攪乱するところの沙門を、
流罪に処するということになった。 これは貞永式目に出家の死罪を禁じてあるので、....
「紅白縮緬組」より 著者:国枝史郎
うになり、自身|戌年というところから取り分け犬を大事に掛けた。病馬を捨てたために
流罪になり犬を殺したために死罪となった、そういう人間さえ出るようになって、人々は....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
思いました。 「処士の身分で華美な振舞、世の縄墨を乱す者とあって、軽く追放重くて
流罪、遁れ了すことはよもなるまい」 それで私は心|竊かに覚悟を定めたのでござい....
「黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
五歳であった。お常は前にも云う通り、母であり主人であるが為に、生命だけは繋がれて
流罪になった。お熊と忠七とは密通の廉を以て、町中引廻しの上に浅草(今の小塚原)で....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
、彼は大いに重んぜられたものであった。しかるにこれに反して清麻呂・法均の姉弟は、
流罪だけは免ぜられたが、その当時は官位はもとの地位までも復するには至らなかった。....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
る。それは何々の罪状によってこの者は幾日の間こういう晒し者にして、その後あるいは
流罪あるいは叩き放しにするとかいうような事なんです。叩くのは三百より七百位まであ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、二条為世の手が動いた。嫡家の家名と伝統とにものをいわせ、京極為兼の庶流であって
流罪の人であることを強調して、勅撰集の撰者になることを圧えたのであって、これに対....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
一、生まれ故郷は三宅島 わが生まれ故郷三宅島は大島、八丈島などとともに近世の
流罪人の島として有名である。わたくしは先祖をたずねられると『大方
流罪人の子孫だろ....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
なる、未だその以外に何らの史料のあることを知らないのである。彼は文永八年十月佐渡
流罪の折に、円浄房へ遣わしたという「佐渡御勘鈔」において、 が子なり。いたづらに....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
た話であって、その庁の下部なるものが、いわゆる放免である事は申すまでもない。その
流罪囚護送の事は、「源平盛衰記」文覚上人
流罪の条に、 、懸る事に就いてこそ、自ら....