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流謫
「流謫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
流謫の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
ボェア(〔Eubo:a〕)のカルキス(Chalkis)に逃れることを得て、そこに
流謫の余生を送り六三歳で死んだ(紀元前三二二年)。神々の存在を否認したディアゴラ....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の
流謫《るたく》を決して不幸とは考えない……。」 その年の十一月、彼は漸《ようや....
「苦しく美しき夏」より 著者:原民喜
竄《りゅうざん》。そういう言葉が彼にはすぐ浮ぶのだ。だが、彼は身と自らを人生から
流謫《るたく》させたのではなかったか) 鍛冶屋《かじや》の薄暗い軒下で青年がヴ....
「大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
古代の小さな神々の佗《わ》びしいうしろ姿を一つの物語にして描いてみたい。それらの
流謫《るたく》の神々にいたく同情し、彼等をなつかしみながらも、新らしい信仰に目ざ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
光彩、精神の高さは、ヨーロッパの昨日までの一高峰であったと思います。ツワイクが「
流謫《るたく》こそは創造的天才をして、己の真の事業の視界と高さとを測らしめるもの....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
セルバンテスにしろ、これにしろ、そのことによって宝石となり得る優秀な人々にとって
流謫《るたく》とは何たる深い意味をもっていることでしょう。ツワイクは一九一四年頃....
「四十八人目」より 著者:森田草平
、幸か不幸か、七月の二十二日になって、江戸の吉田忠左衛門から浅野大学が芸州広島へ
流謫を命ぜられたことを報じてきた。同じく二十五日には、奥田孫太夫からも同様の書面....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
》すべき事
一、お由羅の方以下の奸人を処分する事
一、近藤崩れ(お為派崩れ)に、
流謫《るたく》したる人々を、速に召喚する事
一、兵政を改革し、範を水戸に、取る事....
「魔都」より 著者:久生十蘭
父君、すなわち第十一世維新王は十七歳の時に廃位されて南印度洋の孤島レユニオン島へ
流謫され、今もって街頭でヴァイオリンの流し弾きをして、ようやく露命をつないでいる....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
えないほど、鈍感ではなかった。偉大なる伯爵は、自分で自分に押しつけた名目不分明な
流謫生活を、ロンドン郊外に送るともなく送りながら、いつの心も怖れと、望みと、打算....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
になるので両者の交渉だけを中心としておくことにする。 紫衣褫奪事件に連坐して、
流謫の四星霜を出羽|上ノ山に過した沢庵は、寛永九年七月に赦されて江戸の土を踏んだ....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
れた経験はない。 ここで過誤のおわびをしておく。第三百十四回“佐渡へ”の中で、
流謫のお方を後鳥羽院としたのは全く私の思いちがいで「順徳天皇」でなければならない....