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「浄土教〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

浄土教の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
浅からざるものがあった。みだりに美辞麗句を連ぬるのみでなく、彼の思想の根柢には、浄土教より得たるところの遒麗と静寂とを兼ねたものがあった。慧信の『往生要集』、覚....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
が故に、五十|億劫の生死の罪を除き、化仏の後に従つて、宝池の中に生る。」こういう浄土教の雄大な幻想が、さながら色彩の交響楽となって藤原期の仏画の一々に遍満する。....
親鸞」より 著者:三木清
喪失してしまったことを意味するのである。かくして自力教から他力教への、聖道教から浄土教への転換は、無戒時というものによって歴史的に必然である。もし単に持戒と破戒....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
T氏も構図の不統一について同意見であった。ある画家ははっきりとこう言った。左右は浄土教が流行し始めてから付けたものです。一尊仏だった弥陀を来迎の弥陀に変化させた....
法然行伝」より 著者:中里介山
こそ斯様《かよう》な工夫も考えだすのだ」とほめたということである。 或修行者が浄土教の教義は分っていたが、まだ信心が起らないので嘆いていた。或時東大寺に参詣す....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
極楽浄土の辺地)といって極楽圏に対して番外当選ぐらいのところまでは行けることに、浄土教の祖師たちは説明されていますものの、疑わないに越したことはありません。それ....
偶言」より 著者:津田左右吉
に用いられた屏風絵に現われている濃艶華麗な服装を。肉感的逸楽の気が沁み渡っていた浄土教の宗教画として今も伝わっている弥陀来迎の図などのコッテリした華やかさだけは....