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浅草観音
「浅草観音〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
浅草観音の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
自分も久しく無沙汰をしているが、八橋には多分変ったこともあるまいと言った。自分は
浅草観音へ参詣した帰りで、これから堀田原《ほったわら》の知りびとのところを訪ねよ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ばって、それを路用に高飛びをしたのでは無いかとも思われた。 七月九日、きょうは
浅草観音の四万六千|日《にち》である。苦しい時の神頼みと云ったような心持もまじっ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
夜は蛇の話をしましょうよ。あれはたしか安政の大地震の前の年でした」 七月十日は
浅草観音の四万六千|日で、半七は朝のうす暗いうちに参詣に行った。五重の塔は湿っぽ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
まあ、考え出しながら、ぽつぽつお話をしましょう」 天保十二年の三月二十八日から
浅草観音の開帳が始まった。いわゆる居開帳であるが、名に負う浅草の観世音であるから....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
養子に店を譲ってお半は近所の杉の森新道に隠居したのである。 お半は変死の当日、
浅草観音へ参詣すると云って、朝の四ツ(午前十時)頃に家を出た。女中も連れずに出た....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
一丁目より築地ヘ。新橋駅より新橋演舞場の方へかけて、白金台町附近、高樹町、霞町、
浅草観音さま本堂、本郷三丁目より切通坂へかけて、秋葉原界隈、田園調布界隈、司法省....
「無惨」より 著者:黒岩涙香
たれば久し振に金起の顔を見んと横浜より呼び寄せて共に手を引き此処彼処見物するうち
浅草観音に入りたるに思いも掛けず見世物小屋の辺りにて後より「お紺/\」と呼ぶもの....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
までもなく茴香剤なのさ、大槻玄卿が製したものだ。 ところが一昨日の晩のことだ。
浅草観音の境内へ行き、偶然窩人達の話を聞いた。毒蛇を盗まれたと云っていた。はてな....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
、縄をうつのである。こういうわけで、彼はその夜のうちに召し捕られてしまった。賊は
浅草観音のそばに住んでいる錺り職人で、家には母もあり、妻子もある。貧の出来心から....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
ねえが……」 トン公はやはり心配そうであった。 7 二三日経った或日のこと、
浅草観音の堂の側に、目新しい芸人が現われた。莚を敷いたその上で大きな鼬を躍らせる....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
「今戸心中」あたりが書かれた頃に当るはずである。東京に鉄道馬車がはじめて出来て、
浅草観音の境内には砂がき婆さんのいたころである。この砂がき婆さんは一目眇の小さな....
「経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
年正月の二十日過ぎと決められた。その十二月の十八日である。由兵衛は例年のごとく、
浅草観音の歳市へ出てゆくと、その留守に三之助が歳暮の礼に来た。三之助は由兵衛の弟....
「廿九日の牡丹餅」より 著者:岡本綺堂
が暑そうにきこえた。正直な小女は日傘もささずに、金龍山下|瓦町の家をかけ出して、
浅草観音堂の方角へ花川戸の通りを急いで来ると、日よけの扇を額にかざした若い男に出....
「ある恋の話」より 著者:菊池寛
話だとか、天保年度の水野|越前守の改革だとか、浅草の猿若町の芝居の話だとか、昔の
浅草観音の繁昌だとか、両国の広小路に出た奇抜な見世物の話だとか、町人の家庭の年中....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
片紙を受けて帰るものならん。わが国の護摩札のごとし。また、街上に売卜者多し。わが
浅草観音の門前のごとし。題するに「毎事卦資二仙」とあり。また、室内をうかがい見る....