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浦上
「浦上〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
浦上の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「じゅりあの・吉助」より 著者:芥川竜之介
一
じゅりあの・吉助《きちすけ》は、肥前国《ひぜんのくに》彼杵郡《そのきごおり》
浦上村《うらかみむら》の産であった。早く父母に別れたので、幼少の時から、土地の乙....
「おぎん」より 著者:芥川竜之介
、天使や聖徒の見舞う事があった。現にあのさん・じょあん・ばちすたさえ、一度などは
浦上《うらかみ》の宗徒《しゅうと》みげる弥兵衛《やへえ》の水車小屋に、姿を現した....
「縮図」より 著者:徳田秋声
の出て来た頭の髪をほどき、梳櫛を入れて雲脂を取ってもらっているところへ、写真師の
浦上が入って来た。八月も終りに近く、驟雨が時々襲って来て、朝晩はそよそよと、肌触....
「長崎の印象」より 著者:宮本百合子
れた永山氏が多忙すぎる。数日の中にジャ※に出発されるところなのだ。福済寺、大浦、
浦上天主堂への紹介を得、宿に帰った。 独りで待たされていたY、退屈しぬき、私の....
「長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
見えるが、急に吹き降りの大粒な雨が落ちる。けれども、今日引こもっては、もう大浦、
浦上の天主堂も見ずに仕舞わねばならない。其は残念だ。Y、天を睨み 「これだから貧....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
人《なんぴと》をか照す ただ見る長江の流水を送ることを 白雲一片去つて悠々 青楓
浦上愁ひに勝《た》へず 誰《た》が家ぞ今夜|扁舟《へんしう》の子は 何れの処ぞ相....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
赤松らの大名その任に当っているわけであるけれど、直接その衝に立つものは、安富とか
浦上などの被官人で、所司代の名をもって職権を行使しておった。しかし決して熱心な警....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
スト教が復活して長崎の大浦に天主堂が許されたとき、三百年の潜伏信仰をつゞけてきた
浦上の信徒達がひそかに教会を訪れて、プチジャン神父に最初に尋ねた言葉は「サンタ・....
「二合五勺に関する愛国的考察」より 著者:坂口安吾
祈りはじめてしまった。 彼らがプチジャン神父の問いに答えて告げたことは、彼らは
浦上のものであり、
浦上の村民のほゞ全数は元和寛永のむかしから表むき踏絵をふみ、仏....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
となって信教の自由が許されてから公然たる信教を復活したが、その第一番目の復活が、
浦上部落の隠れ切支丹であった。 私がこの前に長崎を訪れたのは今からちょうど十年....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
しにはいよいよ判らなくなった。この場の終り頃に、ぴかぴかした※を着た侍(宗十郎の
浦上|弾正)が団十郎の前で切腹することになるのであるが、それが一旦うしろを向いて....
「天草の春」より 著者:長谷健
かないその女は、眼鏡をかけ、いわゆる現代的な女のタイプであつたが、どこからか、大
浦上陸後のニユースをもつて来て、しきりに甲高にしやべりちらしていた。大浦から本渡....
「長崎の鐘」より 著者:永井隆
その直前 昭和二十年八月九日の太陽が、いつものとおり平凡に金比羅山から顔を出し、美しい
浦上は、その最後の朝を迎えたのであった。川沿いの平地を埋める各種兵器工場の煙突は....
「『切支丹と旧エタ』について」より 著者:喜田貞吉
の長崎からの通信を掲げたところが、東京中野局消印で「浦部きよし」という方から、「
浦上村民は穢多ではない」との投書があった。投書家は昨年かの地に行き、親しく長崎在....
「ロザリオの鎖」より 著者:永井隆
方に感謝し、神の祝福の豊かに下らんことを祈って。 昭和二十三年三月二十五日 長崎
浦上の住人 永井隆 ロザリオの鎖 私が結婚したのは大学を出て三年目で、当時助....