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「浦和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

浦和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
誰も知らぬ」より 著者:太宰治
すが、もう、八十すぎの汚いおじいさんになっていて、私はまた、それまでお役人の父が浦和、神戸、和歌山、長崎と任地を転々と渡り歩いているのについて歩いて、生れたとこ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
を今度こそは板橋口へ一刻を争うように足を早めました。坂東太郎を暮れ六つに渡って、浦和へ宿をとったのが、もうとっぷりと春の夜もふけた五ツ過ぎ。――大宮を一本道に熊....
田舎教師」より 著者:田山花袋
の女の家を出て、士族屋敷のさびしい暗い夜道を通った。その日は女はいなかった。女は浦和に師範学校の入学試験を受けに行っていた。 「どんなことでも人の力をつくせば、....
縮図」より 著者:徳田秋声
地を売ることになった彼女の生涯もひどく数寄なものだと思われるのだった。 民子は浦和の小地主の娘として生まれ、少女時代を東京で堅い屋敷奉公に過ごし、その屋敷が時....
あめんちあ」より 著者:富ノ沢麟太郎
べ》っていることが一体何ごとであるか少しも飲みこめなかった。 「で、君は是非とも浦和博士に面会してみるのだね――」 いつの間にか彼の耳はこんな言葉を捉えていた....
写生紀行」より 著者:寺田寅彦
思われたので、きょうもつづけて出かけてみる事にした。きのう汽車の窓から見ておいた浦和付近の森と丘との間を歩いてみようと思ったのである。きのう出る時にはほとんどな....
空襲下の日本」より 著者:海野十三
算致しますと、敵機の進行方向は東南東であります」 その声の終るか終らぬうちに、浦和の聴音隊からの警報がやって来た。M曹長は図盤の上にひろげた地図に、刻々の報告....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
年兵になったように、年少者に対して傲慢であるとともに年長者に対しても傲慢である。浦和中学の三年生と二年生はいつも仲が悪かった、年少の悲しさは戦いのあるたびに二年....
異質触媒作用」より 著者:寺田寅彦
院よりは田舎の空気が安くて利き目がよかったのである。 その後にもう一度、今度は浦和から志木野火止を経て成増板橋の方へ帰って来るという道筋を選んでみた。志村から....
崖下の池」より 著者:豊島与志雄
から戻って寄食してる姪の辰子、それだけでした。東京が空襲に曝されるようになると、浦和の近くに住家を一つ求めて、そちらへ疎開し、辰子が東京の家を守り、恒吉は両方を....
三十歳」より 著者:坂口安吾
む蒲田の家へ。「いづこへ」の女と私は女の良人の追跡をのがれて逃げまわり、最後に、浦和の駅の近くのアパートに落付いた。そこで私たちはハッキリ別れをつけて、私はいっ....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
旅装束の若侍が木曽街道を歩いていた。他でもない藪紋太郎である。 板橋、わらび、浦和、大宮と、彼はずんずん歩いて行った。彼は知行所の熊谷まで、たとえどんなに遅く....
採峰徘菌愚」より 著者:佐藤垢石
熊が出た方面の叢林へ行けば、ただ路傍を歩いていても発見できるに違いない。埼玉県も浦和から大宮の間の林には相当いる。だが、それよりも信越線の桶川、吹上方面の方が有....
食堂」より 著者:島崎藤村
お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまた....
棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
した。その後二年ばかりもたつと私はさらに父の転任につれて長野へ行き、前橋へ行き、浦和へ行き、この浦和で祖母は七十六歳の高齢で世を去ってしまいました。もちろん大村....