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浮浪人
「浮浪人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
浮浪人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「伝吉の敵打ち」より 著者:芥川竜之介
っともこれは伝吉につけ狙《ねら》われていることを知ったからではない。ただあらゆる
浮浪人のようにどこかへ姿を隠してしまったのである。伝吉は勿論|落胆《らくたん》し....
「報恩記」より 著者:芥川竜之介
《なげう》っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた
浮浪人《ふろうにん》のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う....
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
ーっといって出した唾《つば》を危くその面《かお》に吐きつけようとした。
この頃
浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火《たきび》なぞをするから用心が悪い、と人々がい....
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
れた文人の目腐れ金に課税した処で結局手数損じゃ無かろう乎。が、之まで較やもすると
浮浪人扱いされた文人の収入を税源にしようというは、済生会の寄付金を勧誘されたよう....
「家なき子」より 著者:楠山正雄
とであった。 この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの
浮浪人の生活と似ても似つかない労働の生活が案外早くからだに慣れた。これまでのよう....
「狂人日記」より 著者:秋田滋
三十日―― 子供の死体が発見された。犯人の捜索が始った。ああ。 九月一日――
浮浪人が二人あげられた。が、証拠があがらなかった。 九月二日―― 殺された子....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
果であった。二葉亭に親近するものの多くは鉄槌の洗礼を受けて、精神的に路頭に迷うの
浮浪人たらざるを得なかった。中には霊の飢餓を訴うるものがあっても、霊の空腹を充た....
「城」より 著者:カフカフランツ
起こしたんです?」
ところが今度は、若い男はひどくおこってしまった。
「まるで
浮浪人の態度だ!」と、彼は叫んだ。「伯爵の役所に対する敬意を要求します! あなた....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
います。これらは一旦戸籍に編入されたものの逃亡したのもありましょうし、初めからの
浮浪人もありましょう。徳川時代の法令などに、野非人・無宿などというのは、やはりこ....
「来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
ある。来り人も多年その地に住している時には、人別を調べて課税する。これは平安朝に
浮浪人に賦課を命じた例のあると同じ様なものである。そしてこの見懸人たる、身分柄中....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
混ずべからず」と断ってあるのは面白い。後世普通に所謂河原者は、彼らの下と見做した
浮浪人であったが故に、彼らは自ら高く標置して、その混同を避けんとしたものである。....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
ものがあって、これを統率していたものであった。これすなわち既に「霊異記」に見ゆる
浮浪人の長に当るもので、その勢力の往々盛んなるものの少からなんだ事は、寛元年間に....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
その存在は古くから歴史にも見えていた。既に天智天皇八年に、「庚午年籍」を造って、
浮浪人を断つとある。無籍者を調べて民籍に編入したのだ。しかしそれで天下の浮浪民が....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いう年に、京の優婆塞が遍歴して越前の加賀郡(後の加賀国)に修行した時に、その地の
浮浪人の長が、縄張り内の
浮浪人から雑徭を徴し、調庸を取り立つるの例によって、これ....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
す。その中で特に境遇が悪く、郷里に止まることもできずして、落魄して他郷に出奔した
浮浪人の如きは、落伍者中の落伍者、非人中の非人でありました。彼らは勢い他人によっ....